今年のまだ肌寒い頃、春の始めに、SHANTI HOUSE という名前を選び、ありのままの、そのままの自分でいられる場所をつくりたくて私は勇気を出して宣言しました。
あれから、夏休み前のSHANTI NIGHTまで突っ走るように進んで来たような気がします。
夏休み、一旦お休みした間に、いろいろと考えたりまた悩んだりすることもあったりして、心がふわふわしたまま再開しました。
自分でやりたくて、自分の人生を生きるために始めた活動。
でもいつのまにか生まれてくる「ちゃんとやらないと」というプレシャーや義務感。
考えてみれば本当におかしい。
私、そしてこの活動は「ありのままのわたし」「こころをゆるめる」「こころをひらく」そこから生まれる「繋がり合う心地よさと暖かさ」「愛と感謝」そんなことが大切なキーワード。
それを形にしたくてオープンしたのです。
なのに、誰にも頼まれてもいないのに、そこから反対のところにある義務感って??・・・苦笑
先週末、夫とこの活動の話しになり少々ケンカ、もやもやしながら迎えた月曜日。
朝からSHANTI MOM の準備をしながらもイライラしている自分がいました。
次男ずっとパジャマでテレビ見ててオープン前にやる約束の宿題全然やらないしっっ、夫とも何だかわかり合えないし、娘いつも通りパワフルに動き回ってイタズラするし、あ~~~イライラ・・。
こんなんでオープンできる状態じゃないよ!と一人悶々。苦しくなって来て、結局看板下げてしまったのです。
まだ来る人もいるかいないかって感じのSHANTI MOMだから、開けたい時にあけて、心からの笑顔で迎えられる日にやればいいんじゃない?
でも、決めたからちゃんとやらないと!ちゃんとやらないとダメな人って思われる・・。
そんな天使と悪魔のせめぎ合いのような時間が流れて、ふと、で、どっちが悪なの??と。
どちらも全て自分のただの感情。
「ダメな人」って思うのも自分自身なのです。
この「ちゃんとできているか?」、という気持ちは小さい頃からとっても強くて、それは勉強とか生活の中の何かじゃなくて、自分に課してきた心のあり方。
心の中の隅々まで自分が清く正しく優しくいられるかを厳しくチェックして自分にダメだし。
自分にすごく厳しくしているので、人のそれ以外の部分も見るのが苦手でした。
正確に言うと、心に隠しているそんな気持ちを見るのが嫌でした。
見えてしまうという性質もあったから余計に。
ほんと不思議な子どもだったと思うし、周りの大人からすれば厄介な存在だったかもしれません。
清く正しく優しい以外の気持ちは見ない振り、それで苦しくてもひたすら我慢、弱音を吐かないで丸呑みする、その結果、毎月高熱で一週間程ダウンするのを、なんと結婚する頃まで繰り返していました。
結婚してからすぐに優大を妊娠し、不思議と熱を出したりダウンすることはほとんどなくなりました。
そして優大を育て、見送り、悲しみから自分を取り戻すまでの間にもらった大切な大切な学びによって、今は思います。
様々な感情は生まれては流れ、今を感じるために瞬間的にそこにあるけれど、決して消えず変わらないものがある。
それは自分の中にある光。
どんな自分であっても決して失われないその光の存在は愛とも呼べます。
優大がそこにいてくれて愛のかたまりであったように、私達もまたそうなのだと思うのです。
ありのままのわたし、というのはその光がいつも心の奥で輝いていることを「知っている」ということかもしれません。
何か理想的な自分にならなくても、自分の中にある光の存在、その魂の輝きを感じるだけでいいんだということを、私はこれまでの人生を通して教えてもらいました。
今日のSHANTI HOUSE はいつもの仲間とのんびり過ごす一日でした。
そこには「この場にふさわしい~な自分でいなければ」という思いはなく、ただゆったりとした時間の中で、心がちゃんと深呼吸しているような、そんな感覚を感じていました。
ダメな人なんて誰もいません。
みんなが価値のある素晴らしい人です。
疲れていても、弱っていても、悲しんでいても、だいじょうぶ。
笑えなくても、心の奥に抱えている重荷があっても、だいじょうぶ。
今、私はみんなの中にある光がとてもよく見えるようになりました。
それは、自分の中にある光をようやく見ることができるようになったから。
だから伝えたくてしょうがいない。
あなたはとっても素敵な人だよ!一人じゃないよ!愛されている存在だよ!
そんなことを。
自分に優しくするって、何かをしてあげることではなくて、ただ自分に正直でいることだなって思います。
看板を下げる日があってもだいじょうぶ、そう自分に言ってあげられるのは他の誰でもないわたしなのです。
いい子でいたい私もいてもいい、これからはどんな自分がいても素直な私で生きていきたい、そう思っています。
もう心の中を厳しくチェックする私はいません。
始めた頃はSHANTI HOUSE への沢山の理想があったけれど、今はふっと力が抜けてとても心地よい感じです。
わたしをゆるめる場所。私をひらく場所。その先に見えるものを今の仲間、そしてこれから出会う仲間と一緒に体験していけるワクワクが沸々と湧いて来ている今日の私です。
空にかかる虹と、水撒きでできる虹。
あれから、夏休み前のSHANTI NIGHTまで突っ走るように進んで来たような気がします。
夏休み、一旦お休みした間に、いろいろと考えたりまた悩んだりすることもあったりして、心がふわふわしたまま再開しました。
自分でやりたくて、自分の人生を生きるために始めた活動。
でもいつのまにか生まれてくる「ちゃんとやらないと」というプレシャーや義務感。
考えてみれば本当におかしい。
私、そしてこの活動は「ありのままのわたし」「こころをゆるめる」「こころをひらく」そこから生まれる「繋がり合う心地よさと暖かさ」「愛と感謝」そんなことが大切なキーワード。
それを形にしたくてオープンしたのです。
なのに、誰にも頼まれてもいないのに、そこから反対のところにある義務感って??・・・苦笑
先週末、夫とこの活動の話しになり少々ケンカ、もやもやしながら迎えた月曜日。
朝からSHANTI MOM の準備をしながらもイライラしている自分がいました。
次男ずっとパジャマでテレビ見ててオープン前にやる約束の宿題全然やらないしっっ、夫とも何だかわかり合えないし、娘いつも通りパワフルに動き回ってイタズラするし、あ~~~イライラ・・。
こんなんでオープンできる状態じゃないよ!と一人悶々。苦しくなって来て、結局看板下げてしまったのです。
まだ来る人もいるかいないかって感じのSHANTI MOMだから、開けたい時にあけて、心からの笑顔で迎えられる日にやればいいんじゃない?
でも、決めたからちゃんとやらないと!ちゃんとやらないとダメな人って思われる・・。
そんな天使と悪魔のせめぎ合いのような時間が流れて、ふと、で、どっちが悪なの??と。
どちらも全て自分のただの感情。
「ダメな人」って思うのも自分自身なのです。
この「ちゃんとできているか?」、という気持ちは小さい頃からとっても強くて、それは勉強とか生活の中の何かじゃなくて、自分に課してきた心のあり方。
心の中の隅々まで自分が清く正しく優しくいられるかを厳しくチェックして自分にダメだし。
自分にすごく厳しくしているので、人のそれ以外の部分も見るのが苦手でした。
正確に言うと、心に隠しているそんな気持ちを見るのが嫌でした。
見えてしまうという性質もあったから余計に。
ほんと不思議な子どもだったと思うし、周りの大人からすれば厄介な存在だったかもしれません。
清く正しく優しい以外の気持ちは見ない振り、それで苦しくてもひたすら我慢、弱音を吐かないで丸呑みする、その結果、毎月高熱で一週間程ダウンするのを、なんと結婚する頃まで繰り返していました。
結婚してからすぐに優大を妊娠し、不思議と熱を出したりダウンすることはほとんどなくなりました。
そして優大を育て、見送り、悲しみから自分を取り戻すまでの間にもらった大切な大切な学びによって、今は思います。
様々な感情は生まれては流れ、今を感じるために瞬間的にそこにあるけれど、決して消えず変わらないものがある。
それは自分の中にある光。
どんな自分であっても決して失われないその光の存在は愛とも呼べます。
優大がそこにいてくれて愛のかたまりであったように、私達もまたそうなのだと思うのです。
ありのままのわたし、というのはその光がいつも心の奥で輝いていることを「知っている」ということかもしれません。
何か理想的な自分にならなくても、自分の中にある光の存在、その魂の輝きを感じるだけでいいんだということを、私はこれまでの人生を通して教えてもらいました。
今日のSHANTI HOUSE はいつもの仲間とのんびり過ごす一日でした。
そこには「この場にふさわしい~な自分でいなければ」という思いはなく、ただゆったりとした時間の中で、心がちゃんと深呼吸しているような、そんな感覚を感じていました。
ダメな人なんて誰もいません。
みんなが価値のある素晴らしい人です。
疲れていても、弱っていても、悲しんでいても、だいじょうぶ。
笑えなくても、心の奥に抱えている重荷があっても、だいじょうぶ。
今、私はみんなの中にある光がとてもよく見えるようになりました。
それは、自分の中にある光をようやく見ることができるようになったから。
だから伝えたくてしょうがいない。
あなたはとっても素敵な人だよ!一人じゃないよ!愛されている存在だよ!
そんなことを。
自分に優しくするって、何かをしてあげることではなくて、ただ自分に正直でいることだなって思います。
看板を下げる日があってもだいじょうぶ、そう自分に言ってあげられるのは他の誰でもないわたしなのです。
いい子でいたい私もいてもいい、これからはどんな自分がいても素直な私で生きていきたい、そう思っています。
もう心の中を厳しくチェックする私はいません。
始めた頃はSHANTI HOUSE への沢山の理想があったけれど、今はふっと力が抜けてとても心地よい感じです。
わたしをゆるめる場所。私をひらく場所。その先に見えるものを今の仲間、そしてこれから出会う仲間と一緒に体験していけるワクワクが沸々と湧いて来ている今日の私です。
空にかかる虹と、水撒きでできる虹。
最近何を見ても虹が見える私。
先日天国に帰った金魚が亡くなる前、水槽の中にも虹がかかっていました。
不思議。虹が好きだからかな。

