今日も暑い一日。でもまだ風が吹くと涼しいので日陰にいるのには、とってもいい季節。

庭に出てテラスに座っていると、何ともいえない開放感。

今またグルグル中の私(またかっ・・笑)考え事をしちゃう時は外に出ている方がいいですね。

風にあたりながら空を眺めていたらふっと力が抜けて来て・・。

ネガティブからポジティブへと私の心にも流れる風をいれてくれました。

今あること、与えられているもの、足りていることに目を向けてみる。

できていない、と思ってしまう自分、今はできないと思っている自分、そんな自分もいて当たり前。

だからこそ、足りていることに気付けたりします。

陰があるから光を目指すことができる。

光しかなければ、そこに光があることに気付いて感謝することはできないのですよね。


自分が作ってしまったフィルター(=感情の癖)を通して世界を見ていると、物事はいつも複雑で何か問題を解決するのがとても難しく感じます。

例えば私が「私はいつも寂しい」というフィルターをかけているとして、友達がみんなで遊びに出掛けているのを見た時に感じるのは「いいな~。私は呼ばれてないけどなぁ。何か悪いことしたかなぁ」だったりします。

でも本当はそれは、たまたま出掛ける話しになってその場にいる人で出掛けて来た、ただそんなシンプルなこと。

まったく悩む要素なんてなかったのです。

フィルターがどんなものでも、それがネガティブな感情からくるものだった時、人は自ら苦しむ世界を見てしまっているのだと思うのです。

フィルターをまったくかけないでいることが出来たら、それは即ち完全なる無我、悟りの境地です。

でもそこに至るのには、この世を旅立つ直前か、もっと次の人生までか、その次か、きっと先になるでしょう。

だから、まずはネガティブなフィルターをポジティブなものに変えてみるのはどうかな、と思います。

「私は全て与えられている」「私はいつでも大丈夫」「私は愛に満ちている」「私は私の人生を生きている」

そんなふうに。

そのフィルターを通して先ほどの友達の光景を目にしたら「みんな楽しそうだな~」そんな気持ちになるだけだと思うから。

観察してみると自分はその時々でいろんなフィルターをかけて見ていることに気付いてきます。

「ちゃんとやらないと失格だ、愛されない」そんなフィルターがあったなら「私なりにやれていることを私が知っている」そう変えてみる。

そんなことを考えながら、空を見ていたら、まぁこのモヤモヤも今しかない大切な私の感情で、行く先が見えているからこその課題。

暗がりがあって見えてくる光を目指していこう、また少し進めた気もした今日の日でした。


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