必要なときに必要なものが引き寄せられるもの。三国志を読んでいました。 | 東海道五十三次・最後の旅籠 次期八代目当主、台風の目と称された興津 清見潟の宿と町を目指して…

東海道五十三次・最後の旅籠 次期八代目当主、台風の目と称された興津 清見潟の宿と町を目指して…

東海道五十三次 興津宿 "最後の旅籠" 岡屋旅館 次期八代目当主 岡屋弥左衛門松太郎。

東海道 宿場町の本陣・脇本陣を筆頭にした三千軒の旅籠を背負って、
台風の目と称された
【世界遺産・三保ノ松原】 裏磯、かつて天下の清見潟…そんな宿と町の再興を目指して…。

長久の計を図って…。


必要なときに必要なものが引き寄せられるもの。三国志を読んでいました。


何を思い、何ができるかはわからないが…、

響いた名言をあげました。


三国志 吉川英治 青空文庫 i読書


じゃあ、わしが告げよう。あの樹は、霊木じゃ。この家から必ず貴人が生れる。重々、車蓋のような枝が皆、そういってわしへ囁いた。……遠くない、この春。桑の葉が青々とつく頃になると、いい友達が訪ねてくるよ。蛟龍が雲をえたように、それからここの主はおそろしく身の上が変ってくる


身を屈して、分を守り、天の時を待つ。──

蛟龍の淵にひそむは昇らんがためである


食客は天下いたる処にいる。 主は好んで客を養い、客は卑下なく大家に蟠踞して、共に天下を談じ、後日を期するところあらんとする。──そうした風潮は、当時の社会の慣わしで、べつに異とするほどなことではなかった。



 折々、登城しては、その劉表に向って、天下の機微や風雲を語ってみても、こんな女々

しい愚痴ばかり聞かされるので、玄徳もひそかに見限っていた。すると或る折、酒宴の半ばに、玄徳は厠へ立って、座に帰ると、しばらくのあいだ黙然と興もなげにさしうつ向いていた。

 劉表はいぶかって、「どう召されたか。何ぞ、わしの話でも、気にさわられたか」と、たずねた。

 玄徳は面を振って、「いえいえご酒宴を賜りながら、愁然とふさぎこみ、私こそ申しわけありません。仔細はこうです。ただ今、厠へ参って、ふとわが身をかえりみると、久しく美衣美食に馴れたせいでしょう、髀の肉が肥えふくれて参りました。――かつては、常に身を馬上におき、艱苦辛酸を日常としていた自分が――ああ、いつのまにこんな贅肉を生じさせたろうか。日月の去るは水の流るる如く、かくて自分もまた、なすこともなく空しく老いて行くのか……と、ふとそんなことを考えだしたものですから、思わずわれとわが身を恥じ、不覚な涙を催したわけでした。どうか、お心にかけないで下さい」と、詫びて、瞼をかろく指の腹で拭った。

 劉表は、思い出したように、

「そうそう、ずっと以前、許昌の官府で、君と曹操と、青梅の実をとり酒を煮て、共に英雄を論じた時、どちらが云ったか知らないが、天下の群雄もいま恐れるに足るものはない、まず真の英雄とゆるされる者はご辺と我ぐらいなものであろう――と語ったそうだが、その一方の御身が、先頃からこの荊州に来ていてくれるので、この劉表もどんなに心強いか知れぬ」と、いった。

 玄徳もその日は、いつになく感傷的になっていたので、

「曹操如き何かあらんです。もし私が貧しくも一国を持ち、それに相応する兵力さえ持てば……

 と、つい口をすべらせかけたが、ふと劉表の顔色が変ったのに気づいて、後は笑いにまぎらして、わざと杯をかさねて大酔したふりをしてそこに眠ってしまった。



「たれじゃ、それへ参ったのは。……いま琴を弾じておるに、幽玄清澄の音いろ、にわかに乱れて、殺伐な韻律となった。かならず、窓外へきたものは、血なまぐさい戦場からさまようてきた落武者かなんぞであろう。……名を申せ。たれじゃ、何者じゃ……


民なければ、いかに領土を奪っても、枯野に花を求めるようなものでしょう


逆境また逆境、さだめし今のお立場はご不安でしょう。しかし以前と事ちがい、唯今では、君側の人に、諸葛先生が居られます。かならずあなたの抱く王覇の大業を扶け、やがて今を昔に語る日があることを信じております。それがしは老母も死し、何一つ世のために計ることもできない境遇に置かれていますが、ただひとつ、あなたのご大成を陰ながら念じ、またそれを楽しみにしていましょう。……では、くれぐれもご健勝に


自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって本とすという。いま玄徳は国を亡ったが、その本はなお我にありといえる。──民と共に死ぬなら死ぬばかりである」と云ってきかなかった。


良禽は木を択ぶ


鳥獣すら殺手をのばせば、未然に感得して逃げるではありませんか。まして万物の霊長たるものが、至上の生命に対して、なんで無感覚におられましょうや


孔明は、わらって、

「兵法に、表裏と虚実あり、曹操は元来、虚実の論にくわしき者。彼、行くての山道に煙のあがるを見なば、これ、敵が人あるごとき態を見せかくるの偽計なりと観破し、あえて、冒し来るに相違ない。敵を謀るにはよろしく敵の智能の度を測るをもって先とすとはこのこと。あやしむなかれ。羽将軍、疾くゆき給え」「なるほど」関羽は、嘆服して、退くと、養子の関平、腹心の周倉などを伴って、手勢五百余騎をひきい、まっしぐらに華容道へ馳せ向った。そのあとで玄徳は、かえって、孔明よりも、心配顔していた。「いったい、関羽という人間は、情けに篤く義に富むこと、人一倍な性質であるからは、ああはいって差向けたものの、その期に臨んで、曹操を助けるような処置に出ないとは限らない。……ああ、やはり軍師のお考え通り、留守を命じておいたほうが無事だったかもしれない」孔明は、その言を否定して、「あながち、それが良策ともいえません。むしろ関羽を差向けたほうが、自然にかなっておりましょう」と、いった。玄徳が、不審顔をすると、理を説いて、こうつけ加えた。「なぜならば――です。私が天文を観じ人命を相するに、この度の大戦に、曹操の隆運とその軍力の滅散するは必定でありますが、なおまだ、曹操個人の命数はここで絶息するとは思われません。彼にはなお天寿がある。ゆえに、関羽の心根に、むかし受けた曹操の恩に対して、今もまだ報じたい情があるなら、その人情を尽くさせてやるもよいではありませんか」「先生。……いや軍師。あなたはそこまで洞察して、関羽をつかわしたのですか」「およそ、それくらいなことが分らなければ、兵を用いて、その要所に適材を配することはできません」

 云い終ると、孔明は、やがて下流のほうに、火焔が天を焦がすのも間近であろうと、玄徳を促して、樊口の山頂へ登って行った。


刃向うものは八ツ裂きにして猪狼の餌にするぞ


 孔明が、座談的に、まるで卓上の椀でも取るようなことをいったので、呉懿は、

(この人、大言癖があるのか、それとも気が変なのか)と、あやしむような眼でその面を見まもった。


私交としては、人情にうごかされるが、時の勢いと、公なる立場から、きのうまで、成都を攻め、今日、あなたの降を容れることとなった。かならず個人同志の情誼と、公人的な大義とを混同して、この玄徳を恨みたもうな


国財は、民の膏血から産れた国家の物である。私にこれを焼棄するは、天を怖れぬものだ。


この「つなぎ烽火」の制は、日本の戦国時代にも用いられていたらしい。年々やまぬ越後上杉の進出に備えて、善光寺平野から甲府までのあいだを、その烽火電報によって、短時間のまに急報をうけ取っていたという川中島戦下の武田家の兵制などは、その尤なる一例であったということができる。


飛び去る鳥の群れは呼べども返らない。行く水は手をもて招いても振り向かない。


時にとって、五百の精霊が一体となって立てこもれば、これでも金城鉄壁といえないことはない


人生有死、修短命矣、誠不足惜、但恨微志未展、不復奉教命耳 人之將死、其言也善、儻或可採、瑜死不朽矣。 周瑜


富家の猪は脂に肥え、見かけは強壮らしいが、山野の気性を失って、いつの間にか鈍重になっている。──我には、西境北辺に、連年戦うて、艱苦の鍛えをうけた軽捷の兵のみがある。何をか恐れん