東海名區 清見潟 再生策 清見潟堤 2続 | 東海道五十三次・最後の旅籠 次期八代目当主、台風の目と称された興津 清見潟の宿と町を目指して…

東海道五十三次・最後の旅籠 次期八代目当主、台風の目と称された興津 清見潟の宿と町を目指して…

東海道五十三次 興津宿 "最後の旅籠" 岡屋旅館 次期八代目当主 岡屋弥左衛門松太郎。

東海道 宿場町の本陣・脇本陣を筆頭にした三千軒の旅籠を背負って、
台風の目と称された
【世界遺産・三保ノ松原】 裏磯、かつて天下の清見潟…そんな宿と町の再興を目指して…。

興津宿の街中から(岡屋旅館側)は借景・清見潟が、清水港に来る客船側からは富士山の下の錦の借景・清見潟を望むことができるようになり、この清見潟堤の森林公園が暴風林として機能し、かつ、ただの暴風林ではなく『リゾート地・別荘地・清見潟』の借景の暴風林となる海側が純粋な浜風の暴風としてパームや松林をメインに、興津山側が楓や桜をメインに植樹。パームや松は、潮風に強くこれから剪定時にバイオ燃料になる可能性がある。楓や桜は、人が集まる様にする為、また町内の南側の植栽が落葉樹である事は、冬場は日が差すようになる為。

⇒清水港⇒清見潟堤(松、パーム→桜、楓)⇒町内⇒オクシズ

*桜がここでは重要。

清見潟には、平和の象徴"興津とポットマック湖畔との友好の"の物語があり、この桜をメインに植え、この緑地化した清見潟の公園が観光客と地元民の憩いの散歩道へ。

(米ワシントンD.C.の埋め立てられたポトマック川湖畔には、日本との友好の証として清見潟の旧清水市興津の農商務省農事試験場園芸部で育成された荒川堤の12 種類の桜が寄贈されました。今度は、埋め立てられた清見潟海岸堤にポトマック川湖畔からの里帰りの桜を植栽したいと思います。一口に桜と言っても種類をいくつか用意することで開花時期をずらせ、長く桜が鑑賞できます。

バイパス沿いにバイパス以上の高さの海を望む展望森林公園、波を防ぐ命山(清見潟堤)に。


〈清見潟を埋め立てた公園を静清バイパスに沿って盛り土をし、静清バイパスをトンネルにし、その上にも盛り土をし、清見潟堤を作り、そこにはポトマック川湖畔との『友好の桜』をメインに植栽し、清水商工会が興津のみで行っていた『興津宿寒桜祭り』が、『清見潟五色桜祭り』となり毎年、屋台が並び《アメリカ桜の親善大使》を招き、清水港の市中の山居『オクシズの玄関が、観光地・外交の場となるようにする。

静清バイパスをトンネルにし上まで堤にすることで、道路の騒音を防ぐことができ、また防潮防風として日常的に機能し防災面でも力を発揮できるようになる。また、清見潟堤を作りポトマックの友好の桜の里帰りの桜を植え森林公園として整備することで、形は変わりますが、清見寺からのかつての東海名區の景観も改めて再生でき、『清見潟 富士の煙や消えぬらむ 月影磨く三保の浦波』の観光名所を再生でき、名月の雲のかからない秋晴れの時期には、松と紅葉に駿河の海に浮かぶ富士山を見に幾多の豪華客船が停泊するとそう思っています。〉




岡屋旅館裏、イメージ 角館のさくら
清見潟堤イメージ
日経新聞より
伝雪舟筆 富士三保清見寺図

クラウドファンティングにて、『現存する東海道五十三次の宿・東海名區 清見潟 唯一の老舗旅館 岡屋旅館』として、まずは、(角館武家屋敷の桜)を模して岡屋旅館敷地内に作るプロジェクトを立ち上げました。

『岡屋さん。この子たちは学生なんです。いずれ大きくなってきっと帰って来る。』

徐々に先代(祖祖父)と友人水口屋旅館20代目当主望月半十郎氏との約束『東海名區 清見潟』再生を、一新講社を起こした水口屋・一碧楼水口屋に代わりかならず実現させます。

岡屋旅館 8代目若旦那 小田裕也 

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