小2の二女の担任は、教員だとは思えないくらい。自分の思いどおりにならないと、子どもたちを怒る。

新学期2日目に、担任から怒られ、登校拒否になってしまった友だちもいるくらい。


担任は「死ぬ」という言葉を何度も使って指導する。確かに、言うことを聞かなかったら危ないこともあるだろう。だったら、「危険」とか「危ない」などと、表現をすれば良いと思う。


子どもたちが言うことを聞かないから、「死んじゃいましたってなったら嫌なので、プールはやりません。」とか平気で言うのだ。



うちは夫を肺がんで亡くしたこともあり、子どもたちも、「死」と言うことを軽々しく使ってはいけないことも理解している。

私たちを残していってしまう夫のツラさや、残されても生きていかなければならない自分たちのツラさも知っている。知れば知るほど軽々しくなんて使えない。



二女の担任は、二女の父親が亡くなったことを知っているにも関わらず、「死ぬ」と言う言葉を何度も軽々しく使う。



その他にも、

二女が、先生の意にそぐわないことをしてしまった。だから、二女は「◯◯しちゃって、すみません。」と謝ったにも関わらず、「嫌だ」と担任ははっきり言ったそうだ。そして、二女は帰ってきてから、担任に謝ったのに嫌だと言われたと大泣きした。


私は、出来事の全体を把握するため、連絡帳に書いて、詳細の報告を担任に求めた。


その結果は、「二女が謝ったのは聞こえなかった。」「そもそも謝ったとしても、二女が目を見て謝っていない。」とか。全て二女が悪いと言う。「嫌だ。」と言ったのも「あら〜、嫌だわ〜。」と言う意味だと言う。


連絡帳や電話で話したが、担任の思い(言い訳)は、私には伝わらなかった。担任はどうしても自分の気持ちを伝えたい、電話だと自分の思いは伝わらないから、私が二女をルームに迎えに行く前に、直接お話がしたいと言い出した。

2人で話しても無駄な時間になることは、最初からわかっていたけど、私は時間を作って対面で話をした。



2人で話を始めると、話をすることを知った教頭が顔を出してきて、私たちの話し合いを聞いていた。


担任とは、話にならない話し合いだったのもあり、ところどころ、教頭にも話を振って進めたが、担任からは「すみません」と謝る言葉ばかりで、改善するものが全く見られなかった。


「すみません。すみません。」と担任が言うので、私は「謝ってほしいなんて一つも思っていません。子どもたちが安心・安全で、楽しく過ごせる場を作って欲しいだけです。」と言った。しかし担任はさらに謝るだけだった。


子どもを迎えに行く時間もあるので、教頭と2人で話がしたいと伝え、担任には帰ってもらった。


教頭には、この担任に対する苦情が相当来ているようで、疲れ切った表情もしていた。

だけど、教頭と言う立場である以上、子どもたちの心身の健やかなる成長を確保するべく動いてもらわないとならないと思い、いろいろ伝えた。



子どもたちの小学校では、校長の次の年長者が二女の担任だそうだ。


学校と言う組織は鍋蓋式と言って、校長、教頭が鍋のつまみの部分にあたり、他の教諭は鍋の蓋の部分にあたる。鍋の蓋は1年目も10年目も30年目も同じ教諭と言う。鍋のつまみは管理職であり、鍋の蓋を管理、指導する立場。


鍋のつまみの方々には、仮に年長者が相手であっても、きちんと管理、指導してもらいたいものだ。