昨日は長くなりましたので、仕切り直しです。
明智光秀の共犯者③『徳川家康』
これは強引かもしれませんが、
可能性はゼロではないと思います。
これまでの朝廷や羽柴秀吉は明智光秀と手を組むというよりは
利用したと思われます。
一方で、徳川家康は正に手を組んだと考えられないでしょうか。
注目すべきは、本能寺の変後の行動です。
一般的には、
本能寺の変が起こったとき、徳川家康は堺の町を見物してました。
豪商として有名な茶屋四郎次郎の財力により伊賀衆を味方につけ、
無事岡崎へ戻ったということ。
その後旧武田領に軍をすすめ、支配下に置いたとだけ言われてます。
ここに隠れた事実として、
・わずか4日後には岡崎に戻っていたこと
・旧武田領だけでなく、京都・安土方面にも軍を進めていたということ
特に京都・安土方面に兵を進めたことに注目したい。
当然、家康は西へ進む軍を率いていました。
一方で、東へ進む軍は部下に任せていました。
信長の敵討ちなので当然だという見方もあります。
さらに細かく見ると、羽柴秀吉が山崎の戦いで明智光秀を討ち取った後も、
兵を引き上げるどころか、しばらく何事もないように兵を進めてました。
その後、羽柴秀吉より連絡があり兵を引き上げたと言われてます。
当時の情報伝達がどのくらいのタイムラグがあったのかはわかりませんが、
すぐに引き上げなかった理由として、
明智光秀が逃げてくるのを待っていたのではないでしょうか?
そして、明智光秀が討ち取られたのを確認して、兵を引き上げたのではないでしょうか?
少なくとも徳川家康が織田信長の敵討ちをするつもりがなかったのは明白です。
それは、旧武田領を支配下に置くには、そこにいる織田軍を討つ必要があり、
実際に攻め込んでいます。
織田信長がこの世にいない以上、誰にも気を遣う必要はなく、
自分が天下を取るのに有利な状況を作り上げていくためには、
羽柴秀吉の独走をさせないことが重要です。
これは、その後を見ても明らかで、
最後まで秀吉に従属するのを拒んでいました。
どうでしょう?
可能性はゼロではないと思いませんか?
