さて、今回も
前回からの続きの
罪悪感からの完全解放…
 
罪というものが
そもそも存在しない
とわかったこと
 
についての
続きのお話です
 
でも
完全解放、とは
書いたのですが
さすがにちょっと
盛り過ぎたかも
しれません笑
 
社会通念上、
明らかに、悪い
とされていること
(犯罪とか)をすれば
さすがに罪悪感は
わくとおもいますし
 
誰かを傷付けたな
とおもったら
「ああ、ごめんなさい…」
には、ちゃんとなります
 
ただ、わたし自身が
ほんとうに余計なものまで
「これでよかったのかな?」
「わたしが悪かったかも?」
という感覚がわきがちな
性質を持っていたので
そこからの完全解放!!
ということですね
 
罪がない、から
罪悪感がなくなった、から
自分の本音や
本当に望みたいものを
選ぶことを怖れなくなった
 
罪悪感によって
何かとらわれてしまうことや
何か絡まってしまうことが
なくなったように感じます
 
 
 
 
そんな変化を
もたらしてくれた
大きな気付きについては
昨日書いた通り、ですが
 
その数日後…
ハッ!としたことが
あったんですね
 
それは
わたし自身が
これまで、ずっと
罪悪感を抱えてきたから
「ゆるし」をもらうような
≒ゆるしてもらわなければ
いけないような現実や状況を
つくりつづけてきたんだなあ
ということでした
 
 
ゆるしてほしかった、
んですよね
 
とにかく
ゆるされたかったから
「ごめんなさい…」と
言いたくなるような&
言わざるを得ないような
状況をつくりあげては
ゆるしてもらう、ことを
何度も繰り返してきていた
 
そうしたら
何度でも
ゆるしてもらえるから
 
ゆるしてもらうには
なんらかの、自分が悪い
と感じられることを
しなくてはいけなくて
わざわざそれをしては
ゆるしてもらっていた
という構図が
ハッキリと見えたんです
 
 
そして
そうやって
何度もゆるされてきた
何度でもゆるされていた
ということに
ものすごく純粋に
感謝を感じたんです
 
悪いことをしたのに
ゆるしてもらったから、
ゆるしてくれたから、
の感謝…ではなくて
常に望み通りで
常に「ゆるし」が
存在していたことへの
感謝といいますか
 
ゆるされていた、
ということへの感謝
としか表現しようが
ないような想いが
溢れてきたんです
 
 
 
 
そしてまた
その裏側についても
わかったことがありました
 
罪悪感から
「ゆるし」を求めて
それを与えてもらうような
現実や状況をつくっていた
のと同時に
 
その反対側の
「ゆるし」を与えたい
わたしもまた存在していた
ということがわかりました
 
ゆるせない!と
感じてしまうような状況や
ゆるしてあげなければ
とおもうような現実を
わざわざつくりだしては、
それさえも
ゆるせるような自分…
「ゆるし」を与えられる
わたし、を確認していた
ところがあったのだなあ、と
 
ゆるしてあげたかった、
んですよね
 
そういった自分が
確かに存在していたなあ
と、わかったんです
 
すべて
ゆるされているから
ゆるしてあげる、も
べつにないことなのに
その権利?みたいなものは
とくに存在していなければ
私が持つものでもないのに
それがあるようなフリをして
わたしがゆるしてあげます
って、やりたかったし笑
そういうことをしていた
ところがあったなあ、と
 
 
ゆるしがたいほどに
傷付けられた、とか
おもってきたことも
たくさんあったのですが
そんな状況さえも、
「ゆるし」を与えたかった
わたしのために、わざわざ、
用意されていたもので
それに関わってくれた人も
めちゃくちゃ協力者だった!
と、すごく感謝がわきました
 
 
ゆるしてあげたかった
わたし、については
気が付いても&認めても
そんなにショックではなかった
ことに、少しびっくりしました
 
以前なら、
わたしが!そんなことを
してしまっていたんだ!!
という罪悪感が必ず
ともなっていたとおもうのですが
「ああ!なるほど…!
確かに、そんな自分がいたね!」
と、淡々と、受け入れただけでした
 
なので
罪悪感から
解放されたからこそ
それを本気で認められた
&ゆるしがたかった状況や
協力者にも本気で感謝できた
というところが
あるのかもしれないなあと
おもいますので
 
これも、やっぱり、
ちゃんと理解しなければ!
受け入れなければ!!
という類のものではないので
どうぞ、無理はなさらず…
 
 
 
そして
最後に、もうひとつ
大事なことを
 
そもそも、
罪というものは
存在しない
 
ので
 
ゆるせないものを
ゆるさない、
ということも
罪ではありません
 
 
今、
ゆるせないのなら
大いに、
ゆるさなくていい
 
ゆるしてもらいたい
自分でもいい
 
ゆるしてあげたい
自分がいてもいい
 
それすらも
ほんとうにすべて
「ゆるし」のなかにあるから
安心して、
好きにしていいのだ
とおもいます