それでは
今日は予告していた

罪悪感がスパーンと

なくなった話を

したいとおもいます

 

これを書くのには

じつは、ちょっと

腰が重くなっていました

 

というのも
すごくセンシティブな
話だとおもうからです
 
 
あくまで
わたしのなかで
「ああ、これが真実だ!」
と感じられた体験であって
 
無理にそう捉える必要もなく
そうおもわねばならない
なんてこともなくて
 
自分には合わない考えだな
とスルーしてもらっても
全然構わないというか
むしろ、合わなければ、
ぜひともそうしてください
 
…という
前置きをした上で
書いていきたいとおもいます
 
 
 
 
自分の根底と背後に
いつも蠢くような
罪悪感を感じながら
生きてきたわたしでした
 
どこかで
間違えたんじゃないか?
傷つけたんじゃないか?
十分じゃないんじゃないか?
失敗したんじゃないか?
悪いことをしたんじゃないか?
という想いが出てきてしまう
 
それのもととなる
ジクジクしたような感覚が
存在の根底と背後に
いつも隠れて存在する…
 
 
もちろん、
普段から頻繁に
感じていたわけではなく
 
自分自身と向き合い
スピリチュアルなことを
はじめてからはとくに
かなり軽くはなりました
 
それでも
ふとした時に
それが顔を出してきて
苛まれることもあり
 
どうすれば
この感覚から、
解放されるのか?と
見つめてきていたんです
 
 
 
そんななか、
あれはたしか

自分への無条件の愛

を感じられた
10日ほど前のこと
だったとおもいます
 
突然、
わかってしまった
んですね
 
そもそも
罪というものが
存在しないんだ!!
 
ということが
 
 
 
 
ある方が
罪悪感について
発信されている
動画のなかで
伝えておられるのを
聞いて
 
ああ…
そうだった!!!!
わかってしまった
 
頭で理解した、とか
そういった考え方を
受け入れた、とか
そういうことではなく
ただ、そうだった…
となった
 
それによって
罪悪感がスパーンと
消えていた、のです
 
 
 
そもそも
罪というものが
存在しなかった…
 
罪というもの
そのもの、が
その概念自体、が
存在しなかったのだ
 
もちろん
社会の上では
個人個人の世界では
存在するように見えます
 
でも、それは
わたしたちの本質として
存在するものではなく
(≒存在しなかった)
その概念をつくりあげ
維持してきたのは
個である私だった、と
 
 
これまでは、すべて
「罪(というもの)がある」
が前提だったんですね
 
だから
罪悪感も
消えようがなかった
 
でもその前提が
崩れてしまったら…
罪がない、んだから
罪悪感も、なくなった
 
 
 
 
そして
それによって
自分をゆるせたんです
 
自分を愛する
ことの一環として
自分をゆるす
ということも
よく語られますよね
 
もちろん
わたし自身も
取り組んできましたが
いまいち
ゆるしきれずにいました
 
それもそのはず…
「罪(というもの)がある」
≒「わたしは罪である」
「わたしには罪がある」
が前提だったから、です
 
 
間違えてしまった
失敗してしまった
傷付けてしまった
罪を犯してしまった
けれど
そんなわたしも
すべてゆるします!
 
自分をゆるす
ということを
そんなふうにすること
だとおもっていたんですね
 
確かにそれで
ラクになったところは
ありました
 
でも
わたしはそれでは
納得できなかったし
満足できなかったんです
 
もっとゆるされたい
という願いが消えなかった
 
それでは
自分をゆるせた、
とは、おもえなかった…
 
 
でも
「罪(というもの)がない」
とわかったことで
「わたしは罪である」
「わたしには罪がある」
という前提から解放され
ようやく、本当の意味で
自分をゆるせた、のです
 
わたしがわたしから
欲しかったゆるしは
「罪(というもの)がある」
前提からの解放、でした
 
 
 
 
そうして
自分をゆるせた、のが
繋がっていった先が
先日から書いていた
だったのでした
 
 
他にも
罪悪感に関することで
書きたいことがありますが
長くなってきたので
また次回に書きますね☆
 
 
そして最後に
書いておきたいこと
 
冒頭でも長々と
前置きをしていましたが
決して、これを
頭で理解すべきものだとか
受け入れなければならないものだ
というふうには
おもわないでくださいね
 
無理にそうしよう、
とは、しないでください
 
余計な苦しさや
変な思い違いを生まない
ためにも…
 
どうぞよろしくお願いいたします