自分への無条件の愛
について
まだ書き足りない!ので
先ほどの記事の続きです
自分への
無条件の愛を感じて
「これさえあれば
他には、何もいらない」
となった
と書きましたし
実際、ほんとうに、
そんなふうに感じられた
のは確かなのですが
時が経ってくると
こんなふうにも
おもえてきたんですね
「これがあるから
他にも、いっぱい望もう!」
自分自身が
本当に望んでいること
自分の本音の願いに
躊躇がなくなったんです
もしも、望んでも
それが叶わなかったり
望みのために行動して
失敗してしまったり
ということを
怖れる必要がなくなったから
いちばん欲しかった
&感じたかった愛は
もう手元にあるし
その願いが
叶ったとしても
叶わなかったとしても、
失敗したとしても
成功したとしても、
そんなことで
その愛は揺らがないから
もちろん
失敗したら
落ち込んだり
叶わなかったら
泣いたりもしますが
それとこれとは
全く別の話、というか
失敗しても
落ち込んでも
叶わなくても
泣いてても
そのまんまでいい
とおもえるんですね
だから
これまで、
もし失敗してしまったら
わたしがわたしのことを
責めたり、落ち込んだら
そんな状態にいるのが嫌で
自分のことを嫌いになって
しまうかもしれないから…
と
望むことや願うことを
どこか、抑え込んだり
誤魔化してきていたのが
全く!その必要がなくなった
結果
「これがあるから
他にも、いっぱい望もう!」
ということで
制限がなくなり、
無条件の愛に満たされた
静かなワクワクが流れています
だから
「これさえあれば
他には、何もいらない」
を感じたとしても
満たされて退屈しちゃう…
叶わなくても満足して
何も望めなくなっちゃう…
ということはなくて
「これがあるから
他にも、いっぱい望もう!」
とおもえるような
もっともっと楽しい世界が
ちゃんと用意されてるので
自分への
無条件の愛を感じること、
満たされてしまうこと、
を渋っている
自我(エゴ)ちゃんには
安心していいよー♡
もっと楽しいよー!!
ということも
お伝えしたいなあ
とおもいました
あと
もうひとつ
自分への無条件の愛
自分を愛するということ
について
誤解していたなーと
気付いたこと♡
それは
「わたしは、
わたしを愛している!
だから、必ず、
わたしをしあわせに
してみせるからね!!」
な感覚じゃなかった
ということ
なんだか
自分を愛するということを
どこかで、そんな感覚だと
思い込んでいたところが
あったんだなあ、と
それもまた
愛の形だとはおもうんです
自分のしあわせのために
がんばれるっていうのは
とっても素敵ですしね
でも、わたしは
一時はそういう感覚に
なれたとしても
長続きはしなくって
ああ、やっぱり
自分を愛するのって
なんか難しいなあ…
自愛苦手だなあ…
わたしのため、
なのに、無条件に、
がんばれないなんて
きっと自分への愛が
足りないんだなあ…
そんなふうに
おもっていたんですね
でも
べつにそんなふうに
おもう必要もなかった
だって
この感覚自体が
わたしの欲しかった
無条件の愛とは
少し違っていたから
この感覚だと
自分自身に
必ず、しあわせであれ
という条件をつけてる
=無条件ではない、から
ですね
しあわせ以外を
感じさせた時には
愛が足りないのか
と悩んでしまうし
そうなると
できるだけ、
しあわせであらねば!
とほんとの感情や
そのまんま=無条件の
自分の想いを無視して
しまうことも起きがちで
しあわせじゃない
自分は、愛さない!
愛せない!!!!
みたいな苦しさにも
つながっていきやすい
なので
かつての
わたしのように
自分を絶対に
しあわせにしてあげよう!
とは頑張れない…
自分は、きっと
自分への愛が足りないんだ
うまく自分を愛せない…
と感じている方が
もし、いらっしゃれば
そんなふうにおもったり
自信をなくす必要は
全く!!ありません
しあわせにしてあげる
というよりも
何があっても
何がなくても
一緒にいるし=しあわせ
という感覚の方が
無条件の愛に近いので
自分を愛する、ならば
基本、そっちがオススメです
(時と場合によっては
「何が何でも、わたしがわたしを
絶対にしあわせにするんだー!!」
という強い想いを持つ&放つことが
何よりも必要な時もありますので
ケースバイケースです♡)
以上で
自分への無条件の愛
について
書きたかったことは
おおかた書けました
でも
この無条件の愛、
「これさえあれば
他には、何もいらない」
とまで感じられたけど
まだこの愛の感覚と体感は
深まっていきそう&深めていきたい
ともおもっています
ここでも
いっぱい望める♡笑
では
次回こそ
予告していた、
罪悪感がスパーンと
なくなった話を☆
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