あの『横手投げ』若すぎる死 | 最後の聖戦 イニシャルM

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元巨人投手の小林繁さん急死、57歳

 元巨人、阪神の投手で、現在、日本ハム投手コーチの小林繁さんが17日、心不全のため、福井市内の病院で急死した。57歳だった。告別式は20日正午、福井市松本4の8の7千福寺りんどうホール。喪主は妻、静子(しずこ)さん。


 小林さんは、1972年にドラフト6位で巨人に入団。横手投げの独特なフォームで、76年から2年連続で18勝をマークした。79年2月に江川卓さんとの1対1の交換トレードで阪神に移籍し、その年に22勝を挙げて2度目の沢村賞に輝いた。


 プロ通算139勝95敗17セーブ。引退後は97年から2001年まで近鉄のコーチなどを務め、09年から日本ハムで投手コーチを務めていた。


 阪神への突然のトレードは1月31日午前、宮崎キャンプに向かう直前、羽田空港で告げられた。交換要員として、何度か自分の名前も挙がっていたが、キャンプ入り当日を迎えての通告に、「まさか」という思いだった。正式にトレードを了承したのは同日深夜。しかし、大勢の報道陣を前にした記者会見で は「阪神へ行く一番大きな理由は、野球が大好きなこと。請われて行く以上、いやいやではなく、精いっぱい頑張りたい」とキッパリと言い放った。さらに「か わいそうというファンもいるかもしれないが、同情はされたくない。向こうでの仕事を見てほしい」と気丈に語った。


 その言葉通り、この年のシーズンでは気迫あふれる投球で22勝を挙げ、最多勝を獲得。特に古巣・巨人からは8勝0敗と、巨人キラーぶりを発揮し、意地を見せた。その翌年からも2けた勝利を続けたが、83年に13勝を挙げながら、突然、現役引退を表明、トレード時同様、潔い引き際だった。全盛時でも、体重70キロにも満たない細腕右腕は、意地と闘志で巨人、阪神という名門球団でエースであり続けた。(読売新聞)



 余りの若さにビックリだよ。

 私が子供の頃は、小林の全盛期。


 江川が『空白の一日』で巨人に入団し、そのあおりを食って阪神に放出されたわけだが、阪神でもエースとして君臨したからね。


 今の若い人はわからないだろうけど、彼の独特なサイドスローはものまねのネタになり、若き日の明石家さんまが彼の形態模写で今の地位のもとを作ったんだよね。


 この記事では『急死』としかなく、小林氏に持病があったのかなど、細かい事はわからないが(追記:心筋梗塞が原因だそうです)、コーチとしてまだまだ後進の育成など意欲に燃えていただろうから、残念でならない。


 心より小林氏のご冥福をお祈り申し上げます。