息子の熱は上がりはしなかったが下がりもしなかった。


けれど

病院で検査してもらって何も異常がなかったことを確かめたし、もらった抗生剤を飲むこと以外にやることはない。




そして迎えた2日後の予約診療の日。



依然として炎症反応も出ず血液検査でも異常はなかった。


レントゲンなんて「肺はだいぶきれいになってきてます」と言われた。


さらに


「このところ体の状態が安定しているので次は来年でいいでしょう」


と言う。



じつは家で主人と


「次の診察は曜日でいくと年末休みにかかるから来年になるのかな」


「いや、さすがに3週間後はないでしょ」


「そうやな、あと1回年内に行くことになるかな」


そんなやりとりをしていた。



そのまさかの3週間後だ。



一番に思ったのは「え、大丈夫?」だ。



安定しているから3週間後でいい、というのはとても喜ばしいことだと頭ではわかっている。


実際

退院した当初は早く通院の間隔があくといいね、と話していたのだ。



自分でも変だと思うが

しばらくの間1週間ごとに通院していたのを3週間に延ばされるとなると望んでいたことなのに咄嗟には喜べない。



はじめは1週間に1回を頻回だと感じた。


そのうち1週間に1回が常態化してそのペースで通院することに安心すら覚えるようになった。


だから

3週間もの間病院に行かないということに不安を抱いてしまうのだ。



ましてや息子の熱は下がらないままだ。



しかし

主治医がそれでいいと判断するのならそれでいいのだ。


不安だから年内にもう1回入れてください、というのは違うと思う。


不安という感情は私自身が取り込んで消化する問題だ。


だから息子には


「病院に行く間隔があいてよかったね」


と言った。


全体として一歩前進したことに違いはないからだ。




けれど息子も

何も異常がないのに熱があることについては

「それはそれで気になるな」と言う。



私は私で「アルコールがだめだったかな」とか

「鯛茶漬けの鯛の火の通りが甘かったのかな」

とか誕生日ランチが原因であるかのようなことをずっと言っていた。



それに対して息子が言った。


「もしオレがどうかなったとしても原因なんかない。たまたまママの誕生日やった、てだけ。なるときはなる」



それはまさに私が物事に関してそう考えるようにしている考え方だ。


その考え方でいくと何か起きても他に責任を課すことがないから気持ちの折り合いが付けやすい。



しかし息子のこととなるとつい原因探しをしてしまう。


自分にとって大切な存在に良くないことが起きたら自分の中に懸命に根付かせようとしている考え方がいとも簡単にぐらつく。



息子に言われて「あ、そうだった」と思うも

それは息子からは言えても私からは言ってはいけないことでもある。