「生着したら嘘みたいにすっと引くって言ってたのにな」



聞いてたのと違う、おかしいじゃないか、

と言わんばかりの様子の主人に


私は静かに言った。



「先生が、生着したらすっと引くって言ったのは口内炎に限ったことよ」



「先生、2つのヤマがあるって言ってたでしょ。とりあえずひとつめのヤマは越えたけどGVHDなんかはこれから色々出てくるの」




その言葉を聞いた主人の顔色が変わった。


知らなくて驚いたというよりは

自分はとんでもない過ちを犯してしまった

という悲しい陰りが差した表情だった。




「だから、まだしんどいかって聞かないであげてほしいの」



「うん、わかった」


主人はうなずいた。





主人が


副作用や合併症のすべてが移植後2週間ですっと治まる、と誤った解釈をしていたとわかった瞬間は腹立たしくさえ思ってしまったが


考えてみれば

これでよかったのだと思う。




移植前説明を受けて


移植後には想像を絶する苦痛がたくさん待ち受けていて、それがいつ終わるかということもわからない


と知ったとき


ふだんは楽観的な私でも相当こたえた。


もしも主人が

そのときに正しく理解していたなら


悲観的な主人にはなおさらこたえただろう。




闘病している息子を


見守り支えていかないといけない家族のうち私と主人が二人してうちひしがれて沈みきってしまっていては話にならない。



比較的はやくに気持ちを立て直した私が


おそらく立ち直るのに時間のかかる主人のお守りまでしないといけない状況もごめん被りたい。




結果的に主人は

誤って解釈していたおかげで


説明を受けてからこのときまでは

いつもの主人とは別人のように楽観的に過ごすことができて


家族の雰囲気も明るく保つことができた。



そう考えたら


いっそのこと私も誤って解釈してしまっていたら楽だったのに、と思う。



二人して誤解がとけたときのことが恐ろしくはあるが。



説明を正しく理解して一旦どん底に落ちてしまった気持ちを平常心にまで持ち上げるのは結構な作業だからだ。



けれど

それをしてでも明るくいることが生きることにおいて大切だと思う。