髄液注射をした日から


4日後にまた外来受診の予約が入っていた。



その日の付き添いを

主人が行くと言って譲らない。



行ってくれるのはありがたいのだが


先生の説明を聞いて

ちゃんと理解して私に伝えてくれるだろうか


ということが気がかりなのだ。



それを主人に言うと


「あいつが自分でちゃんと聞いとるから

大丈夫」。



そこで息子に


「次の外来は父が付き添ってくれる

みたいだから、先生の言われたことを

あなたがちゃんと聞いて覚えてきてね」


と言ったら


「父にまかせた」。



こりゃだめだ。



説明を聞くのが苦手な二人が

一緒に行って大丈夫?


と何度も私に言われた主人は

その日

メモとペンを用意して出かけて行った。




しばらくして


病院にいる主人からLINEがあった。



「明日の朝、移植に向けて

入院することになりました」



明日、か。


もう慣れた。



つづけて

主人のLINEには


息子が悪い状態じゃないのがよかった、

とあった。


ということは


がん細胞が増えてはいなかった

ということか。



二人が帰ってきた。


息子は

またしばらく食べられなくなる

パン屋さんのパンと


好物のシュークリームを

みんなで食べよう、と言って家族分

買ってきていた。



説明を聞きたくて待っている私の前で


主人は

持って行ったメモを取り出して言った。


「9と22て書いてある……何やったっけ…」



ああ、それは

染色体の9番と22番の半分ずつが

くっついてできるフィラデルフィア染色体

のことでしょ、


と言うと


「あ、そう言えばそんなこと言ってたわ」



息子と一緒だ。



もうあかん、説明聞けへん、終わった


と思っていたら


主人は

先生が説明をまとめて書いてくれた紙を

取り出した。


ああ、よかった。



今までの経緯


抗がん剤と分子標的薬の併用を2回した後

移植をする計画だったが


息子の場合

虫垂炎になり分子標的薬を途中でやめた


その後

白血球が回復せず無治療の状態がつづいた


2回めの抗がん剤も始められず

しびれを切らしてポナチニブを服用した




慢性期で見つかっていれば

チロシンキナーゼ阻害剤で抑えられたが


息子のように

急性期になればチロシンキナーゼ阻害剤

のみでは治せない


昔は

診断から1年以内に病死すると言われていた


と書いてあった。


先生、けっこうズバッと言うなぁと思った。



移植予定はこの日から18日後だ。


いよいよだ。