すべての人の

行く末にある人生の終わりを告げる幕。



その幕がいつ下りるのかは

未来が見透せるなど特殊な能力を

持つ人以外にはわからない。


病気になって

余命を宣告された人でも

その時期を越えて何年も生きている

場合だってある。


本当にいつかはわからないのだ。


その意味で人は平等だ。


それぞれの持つ人生の時間が

長いか短いかは何ら重要ではない。



白血病という

比較的致死率の高い病気になったことは


考えようによっては

よかったのかもしれない。



病気にならなかったら

おそらく気にすることがなかった

死というものを意識するように

なったからだ。



死を意識するということは

生き方を考えることでもある。



与えられた人生の時間を

悔いのないように生きたい

と多くの人が思うだろう。



後悔のない生き方

というのは人によってさまざまだ。



私の場合は

息子がいつまで生きるかはわからないが

1分1秒でも

息子との時間を大切に過ごしたい。



もちろん

息子が病気になる前から

息子のことは大切に思っていた

にはちがいないが

今とは気合いというか真剣さの

度合いがちがう。



息子の話は

今まで以上に全部ちゃんと聞きたい。


息子に食べさせるものは

栄養のことをしっかり考えて

面倒がらずに心を込めて作りたい。


(以前は栄養のことは気になりつつ

面倒くさいのでおいしさと満腹感を

優先していた)


できるだけ息子の希望を叶えることで

たくさんの喜びを感じてほしい。


息子の笑う顔を

少しでも長く見ていたい。


そんなことを強く思うようになった。



そして

病気が治ることを唯一の目標にしない

でおこうと考えるようにもなった。


もちろん病気は治ってほしい。


けれど

そこだけに焦点をあてて


目指す未来を達成するために

私が病気のことを調べまくったり

病気が治るというものを探したり

躍起になって奔走するのはちがうと感じる。


それは息子と過ごす

今をおろそかにしているような気がする。



息子が入院してから

白血病に関することが

気になるようになったのは事実だ。


だからといって私が

気になるからとむやみに検索したところで

得られる知識や理解はたかがしれている。


なまじっかな知識は

不安を増すことにしかつながらない。


息子の病気のことは

医師の方々に任せようと思う。



私は

息子の心を私の心の目で見つめて

じっくり向き合いたい。


今この一瞬の息子の心が

少しでも安らぎを感じられるように。



それが

私に与えられた一番の役割かと思う。