息子が入院してから

我が家の日課になったビデオ通話。


毎夜

通話を始めるのは主人と決まっている。


「体調どうや?」


「熱ないか?」


「今日は検査した?」


息子が出るやいなや質問ぜめだ。


そのくせ

自分が聞きたいことをひと通り聞くと

そのあとはほぼしゃべらない。


電話をつないだまま

テレビを見ているのだ。



なので

そこからは私が息子の話を聞いたり


明日は何を持ってきてほしい?

などとたずねたりして


「じゃあお風呂に入ってくるわね」


「また明日ね」


と言って画面から離れる。



私がお風呂から上がって

部屋に戻ってくると


なんとまだ電話をつないでいる。


主人の目はテレビを見つめたままだ。


息子は歯をみがいたり

薬を飲んだり寝る準備をしている。


二人とも無言なのだ。


なんとも奇妙な光景だ。



私は笑いながら


それ電話つないでる意味あるの?

と主人に言う。


答えはない。



ある日

主人がいないときに


ひたすら無言の長時間通話は何なの?

と息子にたずねてみた。


「オレそもそも電話好きじゃないし

切るで、て言うんやけど父が

イヤ、とか言うねん」


と口をとがらせて言った。


可愛い女の子に言われるならまだしも

還暦オヤジの「電話切ったらイヤ」

は需要ないねん、と不満そうだ。



どうやら主人は

息子がいるそばでテレビを見るという


息子が家にいるかのような

擬似空間を作り

その中に居座りたいらしい。




私は

黙ったままの主人の横から

画面に割って入り


「じゃあ寝るわね、おやすみなさい」


と画面の息子に手を振る。


息子も


「おやすみ」


と手を振ってくれる。



布団に入って

ああ今日もいい1日だった、と

幸せな気持ちを噛みしめる。


今日も

息子は生きてくれていた。


今日も息子と笑顔で話ができた。


「おやすみ」を言い合うことができた。



この感情はまぎれもなく幸せというものだ。



病気であることそのものが不幸ではない

ということが

なんとなくわかった気がした。