今年のクリスマスは

ほかの日と何ら変わりなく過ぎた。


ツリー、ケーキ、部屋の飾り

クリスマスらしい料理。


そういうことを一切しなかった。


こんなことははじめてだ。



息子が白血病になり入院して

家にいなかったからだ。



しかしそれは

悲しくてそんな気分になれない、

とか

落ち着かなくてクリスマスをやる

余裕がない、

というのとはちょっと違う。



入院当初とは違って

もうこの頃は悲しんではいなかったし


クリスマスの飾り付けをする時間もない

ほど忙しかったわけでもない。



ならばどうしてやらなかったのか。



クリスマスに限らず

そういう季節のイベントを楽しみにする

タイプの人間は息子だけだったからだ。


今までは

息子のためにやっていたのだ。



私は元来めんどくさがりで

ツリーを飾るのはまだしも

後片付けがめちゃくちゃきらいだ。


ケーキは大好きだけれども

べつにクリスマスじゃなくても

食べたいときに食べている。


料理だって

クリスマス用の映える料理を

作るには手間と時間がかかるのに

食べるのはあっという間だ。


下手したら主人なんて

いちべつもくれずに口に放り込むほど

見た目に関心がない人だ。


娘は

主人ほど無神経ではないにしても

女の子のわりには(今はこんな言い方を

したら怒られるかもしれないが)


「わぁかわいいお料理ねー」

と見た目を喜ぶタイプではなく

味重視だ。


それは

私もまたしかりで

料理はおいしくて簡単なのが一番だ。


レストランなら

出てきた料理の見た目を愛でることは

もちろんある。


しかし

家では作っているのは私だ。


自分が作っているのだから

「わぁきれいね」も何もない。



そこへくると

息子はツリーや料理に喜んで

ちゃんと感想を述べるタイプだ。


この息子が喜ぶ顔を見たくて

今までやってきたのだ、と

息子が入院してあらためて気づいた。




うちのツリーは

私の背丈ほどある大きめのサイズだ。


もうこれはいらないと思った。



でも

来年のクリスマス


息子が家で療養していたら

ツリーがないのを寂しがるだろうか、

と少し迷った。


病気で弱った心にはとくに

美しいものや音楽などが

癒しを与えてくれる存在になるはずだ。


けれど

やっぱりこれはもういらない。



来年は

サイズは小さくても

美しいツリーを探してこよう。



大きなツリーとはサヨナラすることにした。


ポリプロピレン製のツリーは

解体すると

大量のプラスチックごみになった。


けれど

私の中には楽しかったクリスマスの

思い出がちゃんと残っている。


大きなツリーよ、今までありがとう。