息子が入院して

20日くらいが過ぎた頃


主人が

「お昼ごはん食べに行こうか」


と言ってきた。



うれしかった。


外食することがうれしい

というのではなくて

主人が

やっとそういう心持ちになってきた

ことがうれしかった。



息子が入院したての頃は

「眠れそうにない」

と言ったり


食欲もガタッと落ちて

食べる量がめっきり減った。


よくも悪くもわかりやすい。



うちの家族は

私と娘は寡黙なほうで

主人と息子がよくしゃべる。


そのよくしゃべる二人のうち

息子が入院してしまい

主人はメンタルをやられて沈み込み

しゃべる人がいなくなった。


その頃の夕食は

まさしくお通夜みたいだった。



「父がいちばん病人みたいね」

と娘とよく話していたものだ。



しかし

毎晩のビデオ通話や家族LINEの中で

当の病気の本人が

弱音をいっさい吐かず

明るくふるまっているのを見て

主人の気持ちにも

変化が生じたのだろう。



だんだん

食べる量も普通になってきたし

以前のように

冗談も言うようになった。



私の誕生日には

夕食にエビフライを作ってもくれた。


我が家では

家族の誕生日には

主人がごはんを作ってくれるのが恒例だ。


私の誕生日はエビフライがいい、

とリクエストしたのが

まだ息子の病気が発覚する前だったので


約束したからには作らないといけない

と義務感もあったかもしれない。


しかし

「しんどかったら

作ってくれなくていいよ」

と言ったら


「いや、料理してる方が気がまぎれる」

そう言って

もくもくとエビの殻をむいていた。




病気になった息子と

それ以外の家族という構図だけではなく


家族のひとりひとりが

何らかのかたちで

お互いを支えあっている。



今までもそうだったと思うが

息子が病気になって

一層そのことを強く感じる。



家族がいてくれてよかった。



そして

私にこのような家族を持つことが

できたのは

幼い頃から最悪のパターンを

間近に見せてくれた母のおかげだ

と解釈している。



その意味では

母はこんなふうになってはだめよ、

と良くない見本を見せるため

体を張って悪い母役を演じてくれた

愛の人だと言える。