息子が入院して1週間後に

主治医から病状の説明を受けた。


フィラデルフィア染色体陽性で

通常の抗がん剤だけでは寛解が

長続きしない。


スプリセルを併用し

病勢管理が良い状態で

速やかに移植した方がよい。


すぐにドナーを決めて

造血幹細胞を確保し移植に備える。


という内容だった。



骨髄バンクに合う型があるかは

現在検索中で


4分の1の確率で

完全一致の可能性がある姉に

話をして承諾を得られたら検査したい

と言われた。


娘はもちろん承諾してくれるだろう。


どうか完全一致でありますように。



そう願うより前に


あぁ移植の必要な方だったか、と

ちょっとがっかりした。


白血病にはいろんな型があり

抗がん剤だけでいい場合と

移植の必要な場合があると聞けば

誰しも

簡単にいきそうな方がいいと思うだろう。



こういうとき

私は今がっかりしたな、

と自分の気持ちを確認するようにしている。


生身の人間だから

その都度感情が生まれるのは当たり前だ。


しかし

がっかりしたな、と感情そのものから

少し距離をとってみるようにすると


がっかりして当然だよね、

でも

いやだ、なぜ、どうして、と思っても

仕方ないことだよね、

とだんだん客観的になれる気がする。


そうして

感情の沼にはまり込んでしまわない

ようにしているのだ。


そして

行き着くところは

どうあがいたって

この世界はなんとかなるということだ。


なんとかならないことなんてない。


私が思う

なんとかなる、とは

病気が治るとか死なないといったような

自分にとっての良い結果になる

という意味ではない。


その意味では

なんとかなる、は

なるようにしかならない、とも言える。



自分の力では

あらがうことのできない

大きな何かがあることを受け入れる。


それでも

自分の望む結果につながるように

良いと思う選択をし

できることをやっていく。


この2つの態度の

バランスが大事だと思っている。