精子保存に行く日の朝

私と主人と娘の3人で息子の病院に行った。


看護師さんが

「終わったらお昼ごはんを食べてから

2時までに戻ってきてください」

と言って送りだしてくれた。


最後の晩餐ならぬ

しばし会えなくなる前の家族ランチだ。


息子に「何が食べたい?」と聞くと

「お寿司」

と返ってきた。


そうか、そうだよね。

これから当分の間

お刺身が食べられない生活が続くんだもんね。


この日は普段あまり行かない

回らないお寿司屋さんに行った。

お昼時だったのですごく混んでいて

しばらく待つことになった。


回らないお寿司屋さん

ということもあってか

若者のいる家族連れはうちだけで

多くは中年以降の夫婦や

高齢女性のグループだった。


待っている間

息子を椅子に座らせていたが

杖を持った高齢女性が

「座らせてもらえる?」

と言ってきたので息子が席を譲った。


息子は店内なのに

「寒い、寒い」と言っていたが

このときも汗はかいていて

立っているのがしんどそうだった。

私は「この子は病気なんです」

と言いたかったが

はた目から見ると

息子は元気な若者にしか見えず

説明するのも面倒なので口をつぐんだ。

息子も私がそんなことを言うのを

嫌がるに決まっている。



席に座ると

主人は息子に

「大トロ好きやろ、いっぱい食べや」と

それこそ最後の晩餐みたいに

大トロばかりたくさん注文しようとした。


さすがに息子も

「大トロばっかりそんないらんわ」

と言ってほかのネタを頼んでいた。


息子が

「オレ、この病気では死なんと思うわ、

なあ?」

と言うので

うん、そうよね、と答えて

(前向きでいいぞ、その調子!)

と思っていたのに

主人がやおら

息子がお寿司を食べる姿を

スマホで撮影しはじめたのだ。


いや、わかるよ。あなたの気持ちは。

わかるんだけど、それはやめてほしい。


そう思っていたら

息子が

「やめて。食いにくいわ」

「オレ、死ぬんかいw」

と言った。そら見ろ。


わかりやすくて困る主人だ。