となりで主人が

「なんでやねん…」

悔しそうにつぶやいた。


主人も泣いていた。

二人とも嗚咽しながら

エレベーターに乗り込み声をあげて泣いた。


今は、今だけは思いきり泣こう、

そう思い涙の出るままに

溢れる感情に身をまかせた。


泣きじゃくる私の肩を抱きながら

主人は何度も大丈夫、大丈夫、と言った。


主人の「大丈夫」と

自分の泣きじゃくる声を聞きながら

こんなに声をあげて泣いたのは

私の母が亡くなったとき以来

23年ぶりのことだ、とふと思った。


そして

23年前に泣いた場所も偶然この病院だった。



エレベーターを降り

正面玄関に着いても涙がとまらなかった。

土曜日で人がいなくて

ひっそりした暗い病院の玄関で

主人と二人しばらく泣いた。


このときも主人は

私の背中に手をあてて

大丈夫、大丈夫、元気になる、かもしれん、

と言った。


「元気になる」のあと

やや間があって「かもしれん」

と言ったのが

いかにも主人らしくて

こんなときなのにおかしみを感じた。



楽観的な私とは対照的に主人は悲観的だ。

その私でさえ今は

息子が死んでしまうかもしれない

という恐怖に押し潰されそうになっている。

悲観的な主人ならなおのこと

白血病は「死」と直結していて

息子はもう死ぬのだ、くらいに捉えて

いるはずだ。


けれども

泣きじゃくる私のことを守りたい一心で

とりあえず大丈夫、と繰り返し

元気になる、と言ったところで

やはり主人の性格上そう言いきることは

到底できずに「かもしれん」と

付け加えたのだ。


そもそも主人は

大丈夫だなんて本心では思っていないのに

私のために何度もそう言ってくれたのは

純粋にうれしかった。



ひとしきり泣きはらしたら

なんだかちょっと心がすっきりした。


私はもっと強くならないと。


息子と家族と私のために。