身近なにんげん達がじぶんの事かと勘違いしたり、
勝手に傷付いたりしてこちらへ批難を浴びせたりするので、
こーゆー事はなるべく書かないようしてたけど毎回思うことがある。
むかしから書いてるけど、
ほしいものは手に入らないし、
願いもかなわない。
それを痛いほど度々味わってきた。
だから、期待しないし諦める。
いろいろ。
でも、ふこうとは全然思わないし、
なんならそれなりにしあわせに過ごしている。
誰かを大切にする感性が相手と合わなければ、
しょせんただの独りよがりに過ぎない。
でも、
その大切にする感性が伝わらなくても疎まれても、
その気持ちが変わらず継続できるなら、
きっと本当に大切にしたい相手なんだろうと思う。
ひとは大切に思う気持ちを相手に分かってもらいたがる。
それはなぜか?
相手に分かってもらいたいのは、
じぶんの気持ちを相手に理解してほしいから。
それは結局、
相手を思いやってるじぶんを相手に認めてもらいたいから。
それって本当に相手のため?
思いやってる人間を認めろと言ってる事と変わらないんじゃない?
それは結果、相手の負担になったりするんじゃない?
まぁ、そう言うと大概そんなつもりはないと憤慨されるけど。
本人はじぶんの思いが相手に与える影響を、
これまでのじぶんの言動や関係性を交えて客観視できないから、
何も考えずに放ち自らを正当化する。
本人はいたって真剣で悪気はないのは分かるから、
こちらはもうお手上げです。
本人が一本引いて自らを客観視して、
全体から見渡し、
なぜじぶんがそう思うのか?
本当にそれが相手のための言葉なのか?
相手の立場でもう一度掘り下げて考え、
相手の反応がどんな結果でも受入れる許容量がないと、
大切にしてるつもりの事は、
結果じぶん勝手な思いにしか過ぎない。
誰かを大切に思うって事と、
誰かを大切に扱うって事は=(イコール)にならない。
上記それらがどういう事なのか分からない、
どうすればいいのか分からないと言われたことがある。
相手の気持ちを知りたいと思った事もなく、
相手の立場になって考える事が、
どういう事なのかよく分からないと。
これもまたお手上げです。
お手上げなひと達に出会ったら、
もうそういうひとなんだと言い聞かせ、
何も望まず期待しない。
ほしいものは手に入らないし、願いも叶わない。
わたしがほしいと思うものを持ってないひと達がいる。
ただそれだけ、それがわたしの現実。
人情くさいのきらいじゃないけど、
わたしは現実を薄情な気持ちで眺める傾向がある。
それってしょうがないよね。って。
誰かを無理やり変えることはできないのだから。
って諦める。