結果は・・・? | YOUの備忘録

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65歳を過ぎ、42年間のサラリーマン人生を最終卒業しました。 只今、アルバイト探しのプー太郎毎日です。(^^) 自由気儘な温泉旅行と呑み食べを楽しみに、日々韓国ドラマをたのしんでまーす。 気が向いたら、またブログを再開するまで、暫し骨休み〜(^_-)

「神様のレシピ」・・・今一、納得出来ない部分があるんだけどな。
偶然か必然か...、オレには「必然」を受け入れる寛容さが足りないのかもね。

心が苦しくなるとお邪魔するHPで、気になるところがあったから披露するね。

  シンクロニシティ。
  「共時性原理」と訳されたりしますね。
  つたない知識を引っ張り出すと、もともとは、ユングが提唱した原理だとされています。

  「この世界のものごとは、すべて「原因と結果」で成り立っている。
  偶然の一致と感じるモノでもかならず原因があり、起こるべくして起こっている」
  というのがその原理。

  たとえば、うわさ話をしているところに、その人から突然、電話がかかってきたり、欲しいと
  思っていた稀少品を旅先で偶然見つけたりといったことは、「たまたま」という偶然で片づけられ
  ることが多いが、じつは、ちゃんとそれが起こるだけの原因があって、起こるべくして起こってる
  んだって理屈です。

  精神学的な見解としては、「ひとの考え」とか「ひとの思い」は、実世界につながっていて影響
  しあっているってことなんでしょう。
  「ひとをのろわば穴二つ」もシンクロニシティの1つですね、きっと。
  原理としては、何千年もまえから言われているようなことです。

  偶然の結晶
  さてさて、このシンクロニシティってやつをどうしてそんなむずかしい解釈で説明しようとしてい
  るのかが不思議でしかたありません。
  学問的にしようと思うと、解釈が複雑になるのはあるていどしかたのないことなのかもしれません

     が。
  「ひとの考え」って「ひとの行動」に直結してるから、「考えたこと」「気になったこと」
  「思ったこと」が行動に影響するのは当然のことだと思います。
  これを逆から考えると、「起こった偶然はひとの考えが影響している」ってことになるんでしょう。
  偶然は偶然なんです、きっと。
  でも、考えたり望んだりしなければ、絶対に起こらない偶然です。

  日々、これ偶然の結晶です。意味ある特別な偶然を引き出すには、「なんらかのイメージ」を少し
  持つだけでいいんだと思います。
  「あー、これってすごーい偶然の一致だー」って思えるのは、「なんらかのイメージ」があるから
  じゃないですかね。
  どれだけの偶然がかさなっても、なにも「考え」がなければ、偶然はただ流れていくだけです。
  たとえば、「電車がおくれてなければいいのになー」って思って駅に行くと、「電車が遅れてる」
  なんてことは、よくあることです。
  とくに、東京都下だとしょっちゅうです。
  このときに、「おくれてなければいいなー」って思わなければ、ただの偶然です。
  もしくは、偶然ですらなく、ただ電車が遅れているという事実だけが残ります。
  逆に、「おくれてなければいいなー」といくら強烈に思っても遅れてないときはたくさんあります。

  「おくれなければいいなー」と思ったときに実際におくれている場合だけを取り上げてみましょう。
  電車が多少おくれても大丈夫なように準備することもできたはずです。
  よほど予定に遅れたくないときは、電車がおくれるかもしれないということを予定に組み込むこと
  ができたはずです。
  そうしなかった段階で、ひとは「おくれる可能性」を予定調和に組み込んでいるといえます。
  「おくれるイメージ」も含めて行動してるともいえます。
  あわてて駅に向かってはいるものの「案の定」電車はおくれてる。
  「あら、まぁ。思ったとおりだわ。シンクロなんとかってやつね。きっと」ってことになる。

  「なんらかのイメージ」とは、偶然を導く最大の要因だと思います。
  ひとは、偶然を引き起こすことができるから。
 
  なにをのぞむ?
  とかなんとかかんとか。
  まぁ、むずかしいことはいいとして。
  シンクロニシティって、とらえ方の問題なだけで、けして、宗教的とか精神分析学的なことがら
  ではないんだと思います。

  重要なのは「手段」ではなく「なにをのぞむか」ってこと。
  そして、「それをのぞむ自分を好きになれるのか」ってこと。
  のぞみが適切で、それをのぞんでいる自分が好きでいられれば、偶然の一致はかならず幸運を呼

     び込むことになっている。

この最後の4行が、今のオレの課題みたいだな。
1度だけじゃ理解出来ないから、2度以上読んでみてね。

「結果」を求めるより、その「過程」に臨むオレ自身の姿が問題かな。
自分の決断とingの行動に、もっともっと自信をもって前へ進まなくっちゃね。
どんな結果でもいいじゃん...。