漢字の由来や成り立ちを調べるのが好きで、ネットで色々調べたりするのだけど
その中でちょっと意外というか、気になるものがありました。
「努力」
って言葉について。
以下
掲載分より転用しました。
「「努力」を使う場面を、考えたら凄く抽象的で曖昧じゃないかと思う。
何を具体的にどうするかも、どう捉えるかも何も考えず言うケース。
免罪符として使うケースが多いように思う。
凄く逆説的だが、この言葉が多用されることで、結果を出せない言い訳を人々に与えてるような気がする。
「努力」って実は罪深い無責任な言葉だなと感じる
無闇に行動する。苦行する。多くの時間を割き没頭するって意味が努力という言葉には含まれてる気がするが、
私は少しここまで生きてみて「努力自体を称賛する」のは違う気がする。
明確な目的を持たずに、「努力する」のは、奴隷志向に等しいじゃないかとも思う。
努力の努の字には、奴隷の"奴"がしっかり含まれている。
これが努力の文字の本来の由来である。
努力の【努】=奴隷が力仕事をするという意味になる。」
↑
もう少し調べてみると、こういうのも出てきました。
「「右」という漢字の左払い、
横棒、の上部のパーツと同じ形で漢語的には、これを「ユウ」と読みます。
この「ユウ=又」とは、右手の手のひらと右腕の上腕部の形の象形で、
このパーツだけで、まさしく右手を意味します。
即ち、努という字の上のパーツ、「奴」は、
女(女性を含む弱者全体を結果意味する)を右手で捕まえ、奴隷化する事を意味します。
だから奴は奴隷という語の「奴」でしょう?
そして、奴の下に心をいれると、「怒」ですね。
すなわち、「怒」とは奴隷の心、、その様な鬱積した心の様態です」
「よく周り(親や先生)は
「努力しろ」「努力が足りない」というけれど
明確な目的もない「努力します」は、
使用人(組織、国)から搾取される奴隷でしかないだろう。 」
↑誰でもこういう場面って経験してきたかと思うけど
よくよく考えてみたら、確かにそんな感じだよなあ。
そしてこの記事はこういう言葉で締めくくられていました。
「「努力」はしてはいけない」」
「「努力」とは
明確な目的。それもあくまで人や組織から、
親から刷り込まれたものではない、自発的に感じる明確な目的があって
それに対して工夫と改善を繰り返しながら、行動を重ねること。」
そして、記事はこういう文章で締めくくられていました。
「努力を別の表現で具体的に言い換える。怒りを分解して具体的に言い換える。
これらのことを無意識に行えるよう取り組むことにしたい。」
「努力」と「頑張り」は同じじゃないかなあと思って
これまたネット検索してみました。
「「頑張る」ことは、誰にでもできます。
しかし、「努力する」ことは、意識しなければできないものなのです。
だから、「頑張っているのに、成績が伸びない」というお子さんは、確かに頑張っているのだと思いますが、それが果たして「努力」になっているのかが心配。
おそらく、「努力」になっていないから、成果が実らないのだと考えられます。
「頑張る」と「努力する」の違いは、主観か客観かの違いです。
「頑張る」というのは、主観に過ぎません。
だから、誰にでもできます。
何も考えずにがむしゃらにやったとして、それが目的達成のためになっているかどうかはわかりません。
一方で、「努力する」というのは、客観です。
目的達成のために何をすべきかを明確にして積み上げるものだから、そもそもの前提が違うのです。」
うーん、まあそれはそうだけどね。
漢検2級の勉強をしていた時に
刻苦勉励(こっくべんれい)
奮励努力(ふんれいどりょく)
という四字熟語が出て来たんだけど、
苦しくても勉強に励め????
自分を奮い立たせても努力しろ??
えーーーー??そんなん嫌だーーーーーって思った。
努力している、頑張ってる人って賞賛されるけれど
でもさ、誰もかれもが目標や信念を持って生きてる訳じゃないし
日々を過ごすのでやっとなひとが大半じゃないかしら。
それだけで充分努力してる、頑張ってると思うの。
だから私は結果論として
「頑張ったね」「努力したね」って褒め言葉として言いたいけれど
「努力しろ」「頑張れ」
ましてや、それが足りない、なんて絶対に言わないようにしたい、というより
言いたくないなあ。
・・・・・うーん、この記事、大分前に書きかけで
それを先週また修正してたんだけど、
どうしてもまとまらないし、締めの言葉がうまく出て来ず苦笑
まま、そんな感じで←どんな感じだ汗
あーそうなのね、ってなんとなく感じてくれれば嬉しいです汗。