誰かを好きになることに障害という壁はない | ヨッティのブログ

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障害があるから恋愛が出来ないと思っていた過去はあるけど、縁があって恋愛を経験した過去はある。

 

 

障害者の性の部分ってタブーな気がして語ることがなかったけど、障害があるからといって性の部分を隠すことはないと俺は思う。だってそれは人間の性なんだから恥ずかしかることなんてない。

 

 

俺は過去に恋愛をしたことがあって、もちろん好きな人と愛し合った経験もある。誰だって恋愛をして恋人ができたら、愛する人と愛し合いたいって想うよね?

 

 

障害者だからってそういうことを意識しないというわけではないよ。障害があったって人間なんだから人を好きになることをあるし、好きな人を心から愛する権利はある。

 

俺もそんな運命と想えるような女性に出会いたいものだ。

 

 

俺が想うに人を心から愛し愛せるせるのって結局は見た目とかではなくて、心の部分での繋がりなんだなって思ってる。

 

 

障害があるから愛する人を幸せにできないのか?って言ったらそうじゃないと思う。

 

 

障害者だからって愛する人を幸せにできないわけではない。幸せって結局はお互いの価値観とか心の部分で決まるのかなって。

 

 

お互いの価値観とか相性とか様々なものが合致して、お互いがそれを幸せと感じれたなら、それが二人にとって信実の幸せであって愛なんだなって思う。人を好きになること、人を愛することに障害という壁は存在しないのかなって。

 

 

俺も男である以上は異性に興味はあるし、誰かに恋愛感情を抱いてしまうことはあるけど、それは男として人間として当たり前の感情。

 

 

男性が女性に好意を抱く、女性が男性に好意を抱く、同性同士で好意を抱くことも俺は人間としてごく自然なことなんだと思ってる。

 

 

お互いが幸せと感じて、この人となら幸せを分かち合える、共有し合えると感じられるなら、それが本物の愛であって誰かを愛することの最大の喜びというか心から幸せ幸せを感じられる瞬間なのかなって。