命ある奇跡に感謝 | ヨッティのブログ

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筋ジスは進行性の難病であって症状が悪くなることはあっても良くなることはない。昔に比べたら筋ジスの平均寿命は格段に伸びているけど、根本的な治療法の確立までには至っていないのが現状。

僕は奇跡的に40年余り生きてこれたけど、若くして命を落としてしまう人の数も少なくはない。僕より若い筋ジスの仲間が命を落としていくのを目の当たりにするとやりきれない気持ちになるけど、今を生きている僕らには彼らが生きられなかった分を生きるという使命を彼らに託されたのだと思っている。


僕が生きてきたこの40年余りというのは、一日一日の奇跡が積み重って成り立っている。僕もいつかは死ぬわけだし、それが明日であるか数年先であるか、はたまた十数年先かは僕にもわからない。進行性の病気だからといって必ずしも人より早死にするとも限らない。でも一刻と刻む時間は確実に死へと向かって進んでいる。これは逃れようのない運命。


どうせいつかは死ぬわけだし、生きているこの時間をどうせなら精一杯生きてやれって思う。一日一日を後悔なく生きれたなら明日死んだって構わない、そんな気持ちでこれからは今という時間を過ごしていきたい。願わくば明日死にたくないけどね(笑)とにかく生きていられる間は生命を燃やして自分らしさ人間らしさを貫きたいなと思っている。


それは生きていれば辛いことはたくさんあるけど、だからといって死ねばそれで解決されるわけではないよね。自分は何も感じなくなるから楽になるかもしれないけど、その辛い気持ちは残された者にすべて背負わせることになると思うんだよね。死を持って辛さや苦しみを開放することはできないと僕は考える。


辛く苦しい経験は時が経つに連れて良い思い出になることもある。たった一つの幸せな出来事で今までの辛い出来事が払拭されたりもするよね。生きる意味ってそこにすべて集約されていると思う。たった一握りの幸せのために僕らは生きているんだよね。


僕なんて友達と喋って笑い合ってる時間に幸せを感じるし、たったそれだけで過去の苦い経験とか辛い出来事は別にどうでも良くなる。過去はどうであれ今この瞬間に幸せを感じれたならそれでいいと思っているよ。過去と現実を変えることなんてできないんだし、だったら今ここにある幸せを素直に受け止めて未来を幸せに変える努力をすればいいだけのこと。


僕の考えが単純すぎるのかもしれないけど、難しく考えたって行き着く答えは同じだよ。だって唯一変えられるのは未来しかないんだから。何も変える努力もしないで過去の辛さや苦しみに囚われて自分に不幸のプラカードをぶら下げていては、たった一握りの幸せさえも手に入れることはできないよ。


僕はいわゆる重度の障害者だけど、そんな自分を不幸だとは思わないし、幸せを感じるための探究心は常に持って生きている。重度の障害があったってやり様によっては人生如何様にもなるさと思っているよ。安易な考え方なのかもしれないけどこれでいいのだ(笑)単純に考えたほうが余計な心配事や不安事を詮索しないで済むし、前向きに物事を考えられるから。


とにかく生きている間は可能な限りポジティブに楽しい気持ちで過ごしたいと思っているよ。自分を不幸にするのも幸せを呼び込むのも結局は自分なんだよね。だって自分の人生は自分だけのものだもの。


僕だってもし自立生活がしたいという意思を示さずにいたら、今ここにある幸せや充実感に巡り会うことはなかったと思う。今というこの瞬間を手繰り寄せたのは自分自身であって、今この瞬間を生きていられることに感謝しているよ。これから先も命ある奇跡の物語をより長く描けるように生きていければと思っています。


よっしゃ!生きまくってやるぞ!