自立への心構え | ヨッティのブログ

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重度障害者である僕にとって自立生活をするのは容易なことではない。簡単にできるほど甘いものではないと思ってる。だからといってその気持ちに泣き寝入りはしたくない。難しいかもしれないが、可能性が失われない以上は夢を追いかけたい。


施設や病院にいることが僕の運命なんだと思ってた時期もあったが、今の僕は違うと自信を持って言える。最初から決められたものが運命ではないと思う。そんな人生があるとするならば、人が生きる意味はあるのだろうか。運命はそこにあるのではなく、自分が創り上げていくもの。夢は追い求めるだけが夢ではない。夢は叶えてこその夢だと思う。


ただ追いかけるだけでは叶わない。それなりの覚悟と努力が必要だ。夢を追いかけて時に躓くこともあるだろう。傷付き膝を落とす時もあるだろう。追いかけるためにはまた立ち上がらなければならない。ただ追いかけるだけの夢は叶うことはないと思う。努力があってこそ転んでもまた起き上がれるし、歩き出すことができる。


中途半端な気持ちで自立生活の夢を追いかけたくはない。選択肢があるからできるに決まってるだろうと高を括ってると痛い目に合うだろう。人生の終りを笑顔で飾るために、僕はこの夢に全身全霊を注ぎたい。過去の自分はどうであろうと、最後に笑えたのならそれでいい。最後は笑ったもん勝ちだと思ってる。


自立生活で一番大切なのは人間力だと思う。自立への心構えは理解してるつもりだが、果たしてそれをどれだけ態度や行動で表していけるのか。心では理解してるつもりでも、実際に自立してみないと解からない部分もある。僕が理解してる心構えが本当に正しいものであるかを今一度再認識する必要がある。自立への心構えは頭にしっかりと叩き込んでおかなければならない。


僕のように施設や病院での生活が長いとコミュニケーション能力が極端に低い場合がある。それは今の僕にも言えることだ。施設や病院という狭いコミュニティの中では限られた人間としかコミュニケーションを取らない。限定されたコミュニティの中では口達者だが、いざ限定のコミュニティから外へ放り出されたら急に口ごもってしまう。そこを改善しなくては自立生活はままならないと思う。


既に自立されてる諸先輩を見てると、自分の意志や考えを言葉にして伝えるのが上手くて頭が下がる。どうしたら諸先輩のように話せるのだろうかとずっと考えてしまう。やはりそこは経験の差が顕著に表れてる結果だと思ってる。経験値を上げるために下手くそでもいいから色々なコミュニティに参加したり、たくさんの人と交流を重ねてコミュニケーションを図っていきたい。


自立生活といっても身体の動かない僕が一人で何でも出来るわけではない。そこには僕の生活を援助してくれるヘルパーの存在が不可欠。自薦では基本的にヘルパーが当事者の上に立つのはご法度。自薦でなくて基本的にはそうなのかもしれないが。だからといって立場を利用して当事者が何をしても良いということではない。当事者とヘルパーの関係性とはいえ、その間にあるのは人と人との信頼に他ならない。相手への気遣いや気配り、思いやりを持つことが大切。


自分がしてほしいことをヘルパーにお願いをする時の頼み方一つにも人間力が垣間見られると思う。高圧的な態度や口調で命令するように頼むのはもはやただの主従関係でしかなく、本来あるべき関係性から大きく逸脱するものだと思う。自分が良かれと思ってしたことが相手に不快感を与えたり傷付けてしまうこともあり得るのだ。自分の意志を的確に伝えることは大切だけど、受け手の気持ちになって考えてあげることも大切だと思う。


もう一つの大切な心構えは感謝の気持ちを持つこと。会話が出来るのであれば言葉を声に出して感謝を伝える、声を発することが出来ないのであれば態度や仕草で感謝を伝える、感謝の気持ちは伝えなければ何の意味も成さないと思う。


自立生活において知識というのもある程度は必要だけど、一番求められるのは人間力だと僕は思ってる。人間力は経験と共に身についていくものだけど、自立という夢に踏み出す前の事前準備はしておく必要がある。手ぶらで旅に出るのは無謀というものである。これから僕は人生最大の旅に出発します。