長い人生良いことばかりではないよね。もし良いことだらけの人生があるとするなら、人が人であり続けることはできないと思う。幸福は人に喜びや快楽をもたらし心を満たしてくれるものだが、そればかりでは堕落した人間になってしまう。楽を知った人間は人としての心を失くしてしまうような気がする。他人の痛みが解からないような人間になってしまうと思う。自分が痛みを知ることで他人の痛みを理解することができるんだよね。
人の人生とは良く出来てるもので、幸福と不幸が上手く折り重なってる。幸福と不幸は真逆の性質を持ってるが、実は非常に密接したものであると思う。人生山あり谷ありとよく言うものだよね。幸福ばかり続く人生はあり得ないってことは、不幸ばかり続く人生もあり得ないってことだ。
不幸の真っ只中にいる時って自分ばかりを責めてしまうよね。自分の運の悪さを口にしたり、自分だけが不幸なんだとネガティブな思考ばかりが頭に浮かんでくると思う。でも決してそうではない。人の人生において不幸は必要な要素であると思う。もちろん無いほうが良いに決まってるけど、不幸にも大きな意味があるのだと思う。
不幸がもたらすのは幸福である。不幸は幸福の始まりに過ぎない。月にも光と影があるように、幸福と不幸は表裏一体なのです。不幸を幸福に変えるのは自分の考え方一つだと思います。不幸ばかり続いてる時は前向きに考えることは難しいよね。前向きな人から「前向きになれ」と言われてもなれないよね。
前向きに考えられる人と考えられない人の違いって何だろうか。前向きに考えられる人って前向きという言葉通り、いま起きてる不幸な出来事ではなく不幸の向こう側を見てるんだよね。不幸な自分に囚われず先のほうへ視線を向けることで見えてくるものがあると思う。
不幸な自分という意識がより自分を不幸にさせてしまう。たまにはダメな自分もいいじゃないかって楽観的に考えてみてはどうだろうか。完璧過ぎる人には憧れを抱いたり嫉妬したりするもするが、完璧過ぎる人よりも時に弱さを見せたりできる人間のほうが逆に生きる力があるように感じる。自分の弱さを認めることのできる人間ほど不幸を乗り越えられる力を秘めてると思う。
弱い自分でもいいんだよ。それこそが人間ってものだから。不幸は人を傷つけ苦しめるものであって、不幸は不幸の何物でもないと想ってしまうが、実は幸福というゴールを目指す過程では必要な出来事なのだ。