障害者の社会的地位は大部高まってはいるけど、確固たる地位は確立されていないように感じる。障害者に対する差別や偏見は社会的地位に比例していると思う。そこで障害者の社会的地位を高めるためには何をするべきなのかを考えてみたい。
障害者は「弱者」であり社会から守られるべき地位にあるわけだが、それは社会的地位が保たれている状態とは思えない。障害者が社会で暮らしていくための優遇措置は必要だと思うけど、社会から守られるべき地位という概念はボクは納得ができない。障害者を支援する動きは地位を守るために必要なことだけど、どんなに周りが支援をしたところで当事者が意思を示さなければ社会的地位は向上していかないと思う。
社会のグローバル化に伴い、障害者に関する情報を世界中で共有できるようになりました。世の中では障害者と一括りにされて言われることが多いけど、障害も様々あるわけで情報量にも差が生じる。抱える障害によって社会的地位が決められてしまうというのも現状だと思う。それには到底納得することができません。自分より身体が不自由な者が自分より地位が下とは決して思わない。どんなに重度の障害を抱えていても、周囲の理解を得ることで社会的地位を高めるキッカケをつくる。
障害者の社会的地位を上げるために最も大切なのは、身体的なものもそうだけど当事者の気持ちを社会全体に理解してもらうことだと思う。障害を抱えていてもそんな風に考えてるんだな、同じ社会人として生きているんだな、周囲との意思の共有をすることで障害者の社会的地位は平等に保たれると思う。
障害者であるボクらも他力本願ではいけなくて、当事者であるボクらも社会の理解を得るために自分を発信していかなければならない。障害者は害に隔てられた者とは思いたくありません。過去のボクに比べ、最近のボクは気持ちの面で社会との隔たりなど感じたことはありません。
心のバリアフリーというのは知ってると思います。公共機関や建物など物理的なバリアを取り除くものではなく、理解、支え合い、思いやりといった精神を指します。これはある意味、人が人を知る上でごく当たり前の意識だと思う。心のバリアフリーとは社会や周囲の人間だけが持つべき精神ではない気がします。ボクら障害者も心の壁をぶっ壊す必要があると思います。もっと誇張して言えば障害者の壁をぶっ壊すことです。
障害者だから人と同じことをしてはいけない?障害者は決して悪いことはしない?障害者はエロいこと考えない?そのような先入観に囚われるのは明らかに偏見です。障害者だって人並みに色々考えてるし、色々な経験をする権利は持ってる。
世の中には障害者の壁をぶっ壊して生き生きと人間らしく生きてる障害者はたくさんいます。障害者の社会的地位を飛躍的に向上させた強者もいることでしょう。ボクは大きな地位は求めないけど、これから自立するにあたって少しでも社会的地位を上げていけるように努力したいし、社会に生きる者として自分らしく生きていきたい。