周囲の理解あっての自分 | ヨッティのブログ

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生きたいように生きるとは難しいもの。
気持ちではわかっていても思い通りにならないことは沢山ある。

自分のやりたいことは山ほどあるが、やれることに限界がある。
ましてや身体の自由が利かないオレには、自分の全て意思通りには行動できない。
自分の意思通りに行動できない現実に悔しさや不甲斐なさを感じることもある。
どんなに悔やんでもやはり自分に出来ることには限界がある。

不可能を可能に変えていくにはどうしたらいいのか?

それは周りの理解や協力を得ることだと思う。
自分一人では限界があるが、周りの支えや協力があれば自分の限界の範囲を広げられる。
自分が自分らしく生きてく上で理解ある人の存在は偉大であると思っている。

周りの理解を得るためには自分の意思や熱意をしっかりと伝えること。
だけれど周りの人すべての理解を得るというのは自分の中ではあり得ないと思っている。
自分を理解し認めてくれる人が1人でもいてくれたらそれは大変幸せなことだ。

逆に自分に理解のない人がいたとしても気にする必要はない。
人それぞれに価値観は違うだろうし、全ての人が自分に目を向けてくれるはずがない。
価値観の違いがあるからこそ人間の個性が生まれるのだと思う。
万人に好かれる人間なんて1人としていないのだから。

周りから認められたいがために自分の生き方を誤魔化すというのは自分には出来ない。
自分という存在は周りの支えの中にあって、周りに生かされているのだと思う。
普段の暮らしの中ではそのことに気付き難いもの。
どんなに偉い人間であっても決して自分一人で生きているわけではない。
周りの人の理解と協力があってこそだと思う。

ありのままの自分を理解し認めてくれている人達を大切にしていきたい。
自分の生き方を通して自分に賛同し理解してくれる人がいるとするなら有難いことだ。