前にも書きましたが、
あらためてお墓の問題について考えたいと思います。
引き取り手のないご遺骨が、お寺なり、民間団体に増え続けているというのです。
お墓に故人をお納めすることは、
たしかに大切なことですが、
やはりいずれは飽和状態になること、
予想されるべきことだったのではないかと感じてなりません。
それはやはり、埋葬のやり方だったり、
故人といかに共存するかということを、
考え直すときが来ているのだと思います。
人生の成功の大道が、
良い大学を出て、良い会社に入り、良い配偶者と結婚し、良い車と一軒家を持って…
なんだか際限ない人間の欲求からくる業の深さを感じさせるものです。
今現在、そのようにならなくても、幸せの形はいくらでもあることは、
もはや当然のように認識されているのではないでしょうか。
お墓も同じで、
立派な墓に入ることは一つの理想かもしれません。
しかし、
それは一体誰のためのものなのか?
死してなお、見栄を張ることにつながりはしまいか?
そうして構えられたお墓に、故人に、
ご挨拶するのは、せいぜい年に数回…
これは本当に理想的な埋葬と言えるのか。
墓じまいという動きも加速していると聞きますが、
わたしも大いに賛成です。
今日もご覧頂き、ありがとうございます。
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