ロシアによるウクライナ侵攻が始まって、
終息の兆しが見えないまま、1年以上が経過しています。
侵攻を受けたウクライナの人たちの中では、
言葉に対する意味合いや、認識が、
まったく変わってしまったと言われます。
わたしたち漢字圏のように、彼らにも、
“爆笑” とか、“爆上がり” などという言葉にも、
センシティブに反応するようになってしまったと。
「爆」という言葉の持つ意味の重さが、
現実の体験によって強化されたという事でしょう。
今現在のわたしたちには、到底理解し得ないことです。
いくら受け継がれた知識として知っていても、
現実的な恐怖を体験したことにはならない
それを今回の侵攻の克明な事実として、
我々に突き刺さしている。
我々が感じられるのは、そこまでなのです。
あえて現実味をより強く自分の体験に照らし合わせるならば、
花火大会でしょう。
かなり前だけど、伊東の海岸で、
本当に目の前で本格的な花火を観たときのこと。
それまで至近距離で打ち上げられる花火なんて、
一度も観たことが無かった。
それだけに、感動したのと同じかそれ以上に、
恐怖を感じたのでした。
ああ、戦時下で空襲、爆撃を受けた人たちは、
これに近い爆音と、身近に迫る死の恐怖を感じたのだろうなと。
この目の前の美しい花火が、
突然暴発して自分を襲ったなら…
想像するだけで、身がすくむ思いになったものです。
現実に花火の事故というのも起きていたわけですから、
それくらいの想像までならできる。
それに数十年が経過した今となっては、
現実味を薄れている。
痛みとしての経験はしていないわけですからね。
だから爆笑という言葉も、
一切の良心の呵責という自己検閲を通さずに、
サラッと口に出してしまえるわけです。
本当の恐怖を体験したなら、
少なくともこれは口に出して良い言葉なのかどうか、
一瞬でも考えるようになるのでしょう。
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