昨日、月に一度の母との面会ができました。



先月よりもまた少し元気になっていた印象です。



自分で車椅子を漕いで、わりと好きに動き回っているみたい。



こうした僅かな自主的な行動も、


大切な運動、筋力を向上させる機会になります。



返す返すも病院から早々に退院させて良かった。


病院は手術や予後のケアまで居る場所


よほど重篤でなければ、そのくらいに考えておいた方が良い。



胆石が見つかって緊急入院、


早期の手術、


トータル2週間で退院。



もちろん医師からの退院OKも出た上でのことですが、


他の入院しているお年寄りを見ていて、


あらためて病院に長居すればするほど出られなくなると思いました。



視点も定まらない、あるいは苦痛が全身から滲み出るかのように、


ただただベッドで横になるだけの毎日を、


入院患者は送らされているんです。



こんな表現で申し訳ないけど、


その姿はまるで、

廃人、生きる屍のようです。


あれで生きてるって言えるんですかね?!


ただただ死を待つだけの生は、

生と呼べるのか?


終活とか、いわゆる死に支度という感覚は、

とても共感できるし、

わたし自身もすでに終わりを見据えてもいる。


でも、生きてて良かった

そう思える瞬間がなければ、生き続けるモチュベーションは、

だだ下がりでしょう。



死んでいないんじゃない、生きているんだよ。


従兄弟が親をケアし、見送るまでの様子を見ても、

同じ違和感を感じたことがある。


法事で再開した従兄弟のお母さん

わたしが挨拶して、しばし喋ってわかった。

とても寂しそうだと。


同じアパートの別室に住み、従兄弟の家族がケアマネ、

心配ならすぐに会いに行ける、何かあればすぐに対応できる。


そんな環境にいるのに、従兄弟のお母さんはとても寂しそうだったのです。


もちろん心の温かな通い合いが無いからですよ。


このあたりの話は、非常に難しい部分もある。


でもね、本当に親家族を愛していたら、

離れていても寂しさはずいぶん和らぎますよ。


ケアを受ける側に心の飢餓感が強かったり、星の数ほどいろいろなケースもありますが、

最後はやっぱり心ですよ。


この従兄弟がわたしの母の面会に同行したときに思った。


この従兄弟、母に逢いたいのではなく、

手前の心の整理をつけたいだけだと。


だから自分の親、身内の死に対して、

まるで物を扱うような冷たさを感じるんだ。


出てくる言葉は思いやりも感じらなくもない。


けれども、その心根は、非常に歪んでいる。


これは非常に巧妙に隠蔽された、

まさにエゴのなす極地と言ってもいい。



もちろんわたし自身にも自己欺瞞はたくさんある。

ダメな部分もたくさんある。


それでも内なる神、自分の軸がブレてさえいなければ、

大丈夫だと思う。


ブレないようにいたい。


母が大好きだし、いつまでも健やかに生きてほしい。


苦渋の選択の連続だけど、

母が笑ってくれるなら、それが正解だと思う。



星今日もご覧頂き、ありがとうござます。



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