ニュースの記事にあった、千羽鶴の話題。
ウクライナへの祈りを込めたものを、大使館に送ろうとしたところ、
待ったが入ったと。
千羽鶴にまつわるこのような話、
今回の発端は2011年の震災に遡るようです。
被災地、避難所に届けられた千羽鶴は、
そもそもそれをかけるフックすらなく、扱いに大変困ったとか。
電気、上下水道、ガスのインフラが壊滅し、
飲食もままならず、という状況。
親しいテレビ報道関係の方の話では、
最大の悲劇はトイレだったと言います。
こんなところに千羽鶴が届いたら……
まあ、このような議論が出るくらいに、
相手の立場に立って物事を考えることが、
進んでいるとは思いますが。
わたしは飲み屋や喫茶店で、ウクライナの話をしている人を見たことがない。
もちろん違和感はありません。
そんなところで交わされる議論に、意味なんて無いからです。
だって、みんな概ねの状況は理解しているんですから。
それぞれの現実、それぞれの生活があるんですから。
そんな中で、ウクライナの話をすることが、どれほど偽善的で、
薄っぺらい行為であるか。
みんなわかっているからでしょう。
ところがわたしの友人は、コレをやろうとする。
もちろん全力で制止しますよ。
正真正銘のバカだと思われるから、やめた方が良いですよって。
わたしはそんな場面で、
無用のひんしゅくを買ったり、バカだと思われるたくないもの。
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