最近心に残る言葉に、
「洗心術」というものがあります。
日本古来なのか、中国あたりから伝わったのかわかりませんが、
文字通り、心を洗う術です。
師との対話を通して、ものの考え方や、そこに潜むこだわりを手放し、
ありのままの、本来の自分を取り戻す術なのだとか。
こだわりやわだかまりの無い、素直な心。
いやーーー
歳のせいにはしたくないけど、
歳を食らうほどに難しくなるんじゃないですか、コレ。
と言っても、ヒネたガキもいますから、これまた一概には言えないですが。
心を洗い、滞りなく、淀みなく、自由な心。
まんま瞑想ですね、これは。
瞑想をすること、坐禅を組むことは、洗心術と完全に一致すると思います。
洗心術の観点からすると、ある程度の達成をするには、
半生は費やす必要があるとか。
フルフィルメント瞑想やエターナルラブ瞑想が、
説明の通りにクリアな心を簡単に達成できるとは、
必ずしも言えない。
これはタブーなのかもしれないけど、
世の中そんなうまい話が転がっているワケが無いんです。
これを素直に受け入れられたなら、洗心術の第一歩を歩み出したと言えるのではないでしょうか。
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