現代の映画音楽は、
大抵の場合、その前の時代のクラシック音楽を雛形に作られています。
さらに新しい現在の映画は、
少し前の映画音楽のエッセンスも多分に取り入れられている。
パクり云々という話も出てくるでしょうが、
おそらく観客にとっては、
どこかで聞いた覚えのあるような節回しというのも、
高揚感と安心感をバランスよく含んだものとして受け入れやすいでしょう。
そこまで一通り踏まえて映画を観て、
あらためて雛形のクラシック作品の完成度の高さと、
近代であれば、激動の時代、
圧政や弾圧に抗議する手段として、
音楽に込められた想いというのは、
重みが違います。
現代の演奏者の置かれた環境もまた、
大きな影響を与えます。
平和である事は尊いけれど、
何不十分の無い環境で育った人間に、
深みのある、厚みのある音楽はできない。
それらしい音は出せても、
そのものの音は出せないのです。
この点は大変デリケートな問題も含んでいるのですが。
その意味で現代において、迫真のクラシック音楽の演奏で、
本物の音やスタイルを理解して、継承する演奏を聴く機会というのも、
少なくなっているのかもしれません。
そうした貴重な音や演奏というのは、
知識ではなく、魂が、血が覚えているように思います。
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