先日の成田山で一緒だった友人。
障害者の介助で何度も参拝していたそうです。
ただ、参拝している相手、
誰に向かって手を合わせているのか、
わかっていないというのです。
少なからず驚きました。
いや、
わたしも深く理解しているわけじゃないけど、
弘法大師が空海であること、
ご本尊は不動明王であり、
羂索(けんじゃく)と言われるロープを持って、人々を救済する仏であること、
その決意からくる憤怒尊であること、
大日如来が化身していること、
そのくらいは心得ている。
友人にはこれでも情報過多で、
とても全部は説明出来ませんでした。
参拝の作法もあまり知らず、
御護摩修行も目を丸くしていました。
いささかおこがましいが、
そうか、わたしはこの人を此処へ導くことも、役目の一つだったのかもしれない。
そんな風に思いました。
この友人ではないけど、
自分の望みを過剰に押しつけ、
他人を押し退け、
祈願する相手を知ろうともせず、
ラーメン屋に行くのと同じ感覚で行列に並び、
賽銭を投げつける。
こんな大馬鹿者は、少なからず現存する。
そして貴方はこんな馬鹿ではない。
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