皆様こんにちは。

新しい年を迎え、二週間が経ちましたが
いかがお過ごしでしょうか?


今年はどんな年になりそうですかね~。


私は変化から、精進の年であると感じたものを
実行しています。

カラダが、精神が、やっぱり去年と少し違うんですよね。


そういう視点だからかも知れないけど、変化の流れは
周囲にも確実に起こっているように思います。


季節もかすかに真冬から春への予感を感じさせる気が……。

まだまだ寒さは続くだろ!って?

ごもっとも。


とはいえ、すべての事柄は常に変化し、同じモノは一つとしてない。


瞑想も、歯を磨くのと・お茶を飲むのと同じように、
日常に完全に即したツールです。


その一歩一歩は小さく、変化などというモノは感じることが
出来なかったとしても、振り返ってみてみると、
「こんなに進んでいたのか~」

と感じるものです。

変化って、「それを感じたい!!」って気持ちを手放した時に
感じられるものかも知れません。



立ち止まって、同じ所にたっていても、
例えば海岸の波打ち際にいたら、少しづつ、さざ波でも、
確実に違う所へと運ばれていくものです。

暖かくなったら試してみてくださいまし。

海岸でなくとも、場所や、そこから見る視点というのは
やっぱり変化していきますね。


自分の立ち位置を、存在を、固定することから、窮屈さや痛みが生まれる。
それを維持するために渇望が生まれる。

それを放棄し、流れを信じる。

曇ることもあれば、まばゆい光に包まれることもある。

でも雲があってもなくても、その向こうに太陽はある。


だから自分を、自分の瞑想を、歩みを信じていきたい。


歩みを止めてはいけない。


それをひしひしと感じる今日このごろ。

思考の、カルマの、輪っかの中でどうどう巡りをすることなく
この状態でいられればなぁ~と思うのです。


宇宙の流れ・サポートとともにあるって、そういうことじゃないかな~。


そうすると、なにかを手に入れようと足掻きをしなくても、
必要なものが必要なときにスッと差し出される。


そこにまた大きな感謝が湧いてくる。


もちろん差し出されるモノは、心地よいものばかりじゃない。


合点のいかない、承服しかねることも起きる。


でも、そこには学びの、気付きの機会が確実に含まれている。


マインドも、魂からも、拒絶や抵抗がある時って、中々思うにまかせない
ことがある。


こういうときって、あるよね。

そんな時、自分が何に急いでいるのかを見てみたい。


なにかを強引に押し進める力。

これは内なる渇望からくるように思われる。


それはその瞬間瞬間に調和して、出来ることをやる
のとは、力の出所が違うように思う。
違うのはそこに摩擦があるか、否か。

すべてを受け入れる

口にするのは簡単だけど、やってみようとすると
そうはいかない。


ハートは解っているんだけどね。


それを許していないものが、内側にある。


禅では執着と言ったりするかな?


これからも自分を見つめ、あるがままのハートとともにありたいなぁ~。


そのための六つのパーラミター(波羅蜜)

一、ダーナ:寛容(布施)

自分を安全な所に置き、無邪気にも人を見下して起こるものではなく、
対等で、いらだちのないコミュニケーションからそれは生まれる。調和。


一、シーラ:持戒

マインドで決めた規則やパターンに縛られるのではなく、あるがままの状況に
調和して、それをやる。


一、クシャーンティ:忍耐・忍辱

渇望を超越し、期待を放棄し、精神のガマン大会をやめる。ありのままにある。


一、ヴィールヤ:精進(エネルギー)

義務感からのものでなく、それをすることが純粋な悦びとなっていく。
より高い意識。


一、ディヤーナ:瞑想(禅定)

完全なる目覚め。気付き。トランス(失神)状態ではない。


一、プラジュニャー:知恵

疑惑とためらいを切り払う知性の剣。もう一人の「見張り人」という視点
からの解放。 すべてを見る、完全で正確な知恵。見る・知る。


ここに書いたものは、これだけで必ずしも精確に意味が伝わるワケでは
ないので、興味のある方はPCや文献等で調べていただくことを
お勧めします。


ちなみに、上記のものは、めるくまーる社の、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェ氏著

「タントラへの道」

という本からの引用です。絶版ですが、アマゾン等で手に入るかも。



皆様のハートの平穏とともにありますように♪




よっしー