2020年 総括01 | ラジオ!Yotsugi Busters!!

2020年 総括01

どーも、オハラです。

 

2020年も終わりに近づいてきました。

 

久しくブログを更新してませんでしたが、この辺で今年の締め括りに2020年のまとめを書いてみようと思います。

 

まず、今年はみなさんご存知のように新型コロナウイルスの影響でほとんどの人たちが何もできずに終わった一年だったと思います。もちろん僕もかなり行動が制限された一年でした。

 

取り急ぎ僕はまだコロナウイルスには感染していません。外出は極力避けていますが、それでも盟友ウィリーさんとツバメグリルで牡蠣のオーブン焼きを食べに行ったり、嫁と時々外で食べたりするくらいで、ひっそりと暮らしています。

 

さて今年はどんな一年だったかを項目に分けて振り返ってみようと思います。

 

・結婚式をあげた

プライベートでは去年に嫁と入籍して本来だったら今年の4月にやる予定だった結婚式が10月に延期したことが言ってみれば今年の一番の出来事ですね。結婚式を無事に終えた時点で僕の今年の大仕事はもう終わった感じです。本当に色々とすったもんだがありました。

 

というのも嫁のリクエストで「結婚式は出雲大社でやりたい」と言い出したので僕も「いいよ」と簡単に返事をしてしまったのが運の尽きだった。もともと嫁の実家は島根にあって、島根といえば出雲大社だからそこでやりたいということ。ただでさえ結婚式は準備とか色々と面倒ということは聞いていたがまさか遠方で結婚式を企画しないといけないというかなりハードルがアゲアゲなイベントに挑戦することになってしまったわけだが、いやー本当に大変だった。

 

出雲大社は大きく分けて本殿で上げる場合と北島会館というちょっと傍の方でこじんまりやるパターンの二種類がある。我々は呼ぶゲストも少なく身内だけでやる予定だったので北島会館の方を選んだ。出雲大社では写真屋さんとか衣装屋さんは指定されているからここは選ぶ必要ないし相見積もりをとる必要もない。そこは楽でいいところ。

 

ただし、現地調査とか打ち合わせで最低2回は出雲大社に直接行く必要がある。ここでまずお金がかかるのが難点。そして、一番大変なのがゲストである。

 

幸いにも嫁の方は島根出身だから嫁側は当日現地集合でOKだったが僕の方は東京からお招きして前日入りしてホテルを予約しないといけない。出雲大社のすぐ目の前に「月夜のうさぎ」というできたばかりのきれいなホテルがあるのでそこを12人くらいの団体で抑えた。ホテル予約と飛行機代だけで合計80万くらいはかかる。ちなみに出雲大社には初穂料として5万円を奉納すれば、極論を言えばこれで式はあげられるが、当日のカメラマンや披露宴会場代や食事代やスタッフ手配などはもちろん別料金。先の80万円と合わせて合計でなんだかんだ200万はかかったが、ゲストからのご祝儀で6割くらいは回収できた。

これを4月に予約してそしてコロナの影響で延期になったのでキャンセルして10月に予約し直してとかのやりとりがめちゃくちゃ大変だった。こういう時は旦那である僕が率先してExcelにゲストリストみたいなものを作ってとか管理をがんばったが、ややこしい。まあ、本来ならこういうのは結婚式のエージェントみたいなのがいてそこがマージン取る代わりに全部スケジュール管理とかしてくれたりするのかもしれないが、如何せん僕は全部自分で連絡して管理してとがんばった、「お前もなんかやれよ」と嫁に言いたいのを抑え、嫁の願いをかなえるために頑張る自分は立派だなと思った。

 

席札は自分たちで作ろうとかウェルカムボードを作ろうとか色々とアイデアを出してくれるのはいいがそれらを制作するのは全て僕の役目である。さらに嫁は結構横着な正確なのでこちらが「そろそろ準備しよう」と言わないと基本動かないのだ。当日の式の司会も本来は会場が手配するらしいのだが僕は自分でやることにした。全部自分で台本を考え「昨今のころなウィルスにより一度は延期となりましたが、こうして皆様にお会いできて誠に嬉しく思います」みたいな時事ネタを盛り込みつつ自分でセリフを考え、それを全部暗記した。もちろん嫁のセリフは皆無で全部僕が暗記して進行をする。結婚式前日まで家で何度も練習をしている僕に「そこのセリフ変えた方が良くない?」と前日になって言い出すのに怒りをあらわにすることなく「ああ、そうだね」とさらっと受け流す。自分が喧嘩っ早い性格とかじゃなくて本当によかったと思った。今の夫婦生活がなんとかうまく行ってるのは嫁がヒステリーな性格でないのと僕が平和主義だからだと思う。

 

結婚式当日は天候にも恵まれて10月の秋晴れの中、八百万の神々に見守られながら式を執り行った。当日は僕の見事な司会ぶりに両親並びに親族一同が目を丸くしただただ驚くばかりで誰一人涙を流すことなく余興を兼ねた企業セミナーに参加したかのような充実感を覚えてそれぞれの帰路についた。出雲大社から出雲縁結び空港までのマイクロバスの中、オレンジからライラック色の綺麗なグラデーションを夕暮れの空をぼーっと眺めながら結婚式を無事に終えた達成感とこれからコロナウィルスによるパニックで自分の結婚生活はどうなってしまうのかというなんとも言えない不安を覚えていた。

 

・子作りを始めた

こうして嫁の願いは往々にして叶えてやった。婚約指輪にはブルガリの指輪が欲しい、一緒に住む場所は高田馬場がいい(東京の東側に住むのは論外)、結婚式は出雲大社でやりたいなど全部現実のものとなった。唯一叶えられなかったのが新婚旅行にマルタ島に行きたいということ。このコロナ渦ではさすがに新婚旅行に連れて行くのはもう無理だ。子供ができる前に二人だけの最後の思い出を作りたかったがもう仕方がない。少し子供が大きくなったら行こう、それか60過ぎてから行くのでも悪くはないだろう。

 

ということでもう新婚旅行はお預けと考えた我々は子作りを始めることにした。小生はもう37歳、嫁は34歳である。日本では昔は25歳くらいが結婚適齢期とか言われていたが晩婚化が進んで今ではそんな若い時に結婚する人の方が少数派である。子供を作ることを考えると若い方が確かに体力や出産におけるリスクも低いかもしれないが、最近では40歳でも元気な赤ちゃんを産んでいる人がたくさんいるし、そもそもヨーロッパでは40歳くらいまでなら子作りは問題ないと考えれているらしい。

 

そんなこんなで結婚式が終わった10月あたりから子作りを始めた、つまり夜の営みが拳サポをつけた寸止めからフルコンタクトに移行したのである。僕は今までフルコンタクトでやったことは3回くらいしかない。25歳の時にイギリス留学中に知り合った23歳の日本人語学留学生「K」と筆下ろしを経験したが、その時がフルコンタクトだった、つまり初の実践がフルコンタクトというかなりストロングスタイルである。もちろんフィニッシュは外に出してはいたが今考えると試合の経験が25年間全くなかったのにフルコンタクトで戦ったのはかなり無謀だったと思う。でも今でもあの時のKとのファイトは思い出して想像するだけで自慰ができるくらい淡い思い出となっている。お互いに異国の地で言語と文化の違いから来るストレスと冬の寒さと暗さからの孤独感から自然と人肌を求める人間の本能が剥き出しになった官能的であり原始人間的な結びつきだった。外はマイナスに近い漆黒の闇が広がる大英帝国の南の小さな田舎の汚い部屋で布団をかぶって裸で抱き合うと人間の温もりを感じると同時に快楽の神経が刺激され背中の中心からゾワっと全身に鳥肌が立ち広がるのがわかりその瞬間だけ全ての孤独、ストレス、不安を忘れることができた。Kには当時、日本に彼氏がいた。でも半年という長い期間の異国の冬の生活から人肌を求め僕と肌を重ねたのだ。お互いにこの関係はこのイギリスにいる間のみの期間限定だとどこかで認識していた。

 

それからというもの僕は2012年に人生初の彼女ができてそこからまた試合をするのだがもちろんその時は拳サポをつけていた。しかしながらこの女性と付き合い1年記念日の時に拳サポが破損するくらいの激しい戦いをしてしまい結果的にフルコンタクトでフィニッシュしてしまった。これがきっかけでこの女性とは結局別れてしまい、それ以降は拳サポをして試合に臨んでも「破損しないかな」と恐れながらの戦いだったのでフルコンタクトでやることに抵抗があった。そして、今年の10月からフルコンタクトでの試合を開始したが最初は何かえも言われぬ緊張があった。おそらく子作りを始めた男性の多くが思ったことだろうが、それまでは彼女や不特定多数の女性と試合をした際には快楽を目的に拳サポをはめてことに及んでいたのでいざ子供を作ろうという目的でことに及ぶと妙な緊張感が過ぎる。フィニッシュする直前に「いいのか?後戻りできないぞ」と脳裏に浮かぶが体はもう止められずそのままフィニッシュをするが10月に初めてフルコンタクトをした時は終わった後に何だか遠い目で色々と考えてしまい寝つきが悪かったのを覚えている。

 

よく父親や母親になることに不安を覚える人が多いというがこの辺の男性がフルコンタクトで行うことの複雑な心情にフォーカスすることはあまりないだろう。しかも自分はもともと拳サポをつけていても試合時間が短く、フルコンタクトとなると開始からものの60秒で残り時間僅かを告げる巾着袋が投げ込まれるので、夜の営みとはよく言ったもので作業に近いものになって行く。「彼女」として付き合っている時は互いに家も離れていて、デート場所に待ち合わせるので彼女も顔面に化粧を施し着飾って登場するが夫婦になって一緒に暮らすとむしろスッピンで部屋着でいる時間を眺める方が多くなり色気を帯びている時間が圧倒的に少なくなる。部屋着と言っても女性ライフスタイルマガジンで見るような「理想の柔らかボディ」特集で田中みなみさんが来ているような胸元緩めの無防備スタイルではなく、丸首トレーナーにジャージという違う意味の無防備スタイルでソファや布団にずっとの転がっている。しかもどうも女性は眼鏡にこだわりがないようでコンタクトを外した後に着用する眼鏡がすこぶるダサいのである。男性は僕もそうだが眼鏡に少なからずこだわりがありバディ・ホリーみたいな黒縁メガネとか昔の文豪が描けるようなまん丸の眼鏡とかこだわりがあるが嫁の眼鏡は教頭先生がかけているような眼鏡で全然オシャレ感がない。

 

このようなことからだんだんと生物学的に色気を感じる時間がどんどん短くなって行くので、試合に及ぶ機会も減ってくるのである。現に去年の9月から一緒に住み始めて試合に及ぶペースは月に1~2回である。日本人は夫婦間の営みが少ないとよく言われているがその通りだなと実感している。しかも戦いの始まりは大抵が土曜日の夜に歯も磨いて風呂も入って電気消して寝床に入って10分くらいしたらこちらからそそっと布団に入っていき、胸を触り初めるところから入って行くのがいつもの流れである。暗闇で前述の通りジャージ姿でスッピン(暗闇だから実際顔は見えないが)という状態での戦いだから色気も官能的な状況もなくただただ「営み」と化して行くのである。何とか自分としては工夫を凝らそうと考えて「コスプレをしてくれ」とか「一緒に風呂に入ろう」と提案をするがほぼ却下される。僕の誕生日とクリスマスの日だけプレゼントを所望する代わりにコスプレをしてくれるという年に2回だけいつもより興奮するイベントがあるがそれ以外は先の通り暗闇デスマッチである。

 

子作りには夜の営みが不可欠である。どっちかがきっかけを作ったりしないと事には及ばないのでそこはお互いの協力が大事でいつも男から仕掛けないといけないというルールはない、というか毎度言っているがそういう時だけ「男のくせに」とか「女の子だから~」とかいうのが僕は大嫌いだ。女だけでなく男もいないと子供は作れない、女の方も少しは協力してセクシーな下着を購入して迫ってみるとか互いに協力することが大切だ。「今日排卵日だからよろしく」と夫に告げるだけで何を楽しようとしているのだ?お笑い向上委員会見ながらそんなこと言われてもこの後こっちはどうすればいいのだ?女性特有の日とかその日のコンディションなどあるからなかなか男の方から戦いに持っていっても「ごめん今日はだめ」と言われて戦意喪失することが多々あるが、こちとら誘われればいつでも応じてやるだけの雄度はまだたぎっている。いつ何時俺は誰の挑戦でも受けるという猪木イズムで臨戦態勢でいるのだからいつでも誘惑してくればいいじゃないか。ましてや一日一回寝る前にしか歯を磨かないなんて論外なのである。接吻というジャブから入って戦いは始まるのだ。それなのに寝起きの菌が充満している口腔内をそのまま引きずり朝食のパンを食べて、昼食のニンニクの効いたパスタを食し、そのまま夕飯のちょっと高い寿司も食べて散々歯垢がこびりついたほぼ尿臭に近い状態で官能的な雰囲気が生まれるわけもない。

 

世の女性たちに心から願うことは1日3回きっちり歯を磨いて清潔にしていないと子作りの機会もどんどんと逃げて行くことを覚えておいて欲しい。

 

続く