どしゃ降りのジェネレーション
どーも、オハラです。
最近お腹が出てきてしまいました。
もう僕も中年です。このブログを始めたころは25歳くらいでしたが、もう31歳になりました。
もういつまでもチャランポランタンに生きているわけにはいきません。そろそろ自分の人生の方角を定めなければいけません。
時がたつのは早い。もう僕の青春は去ってしまった。
ずっと尖って生きてきました。絶対に迎合しない、サークルに入って「ウェーイ」とかやらない。
孤独に歩め、悪をなさず、林の中の象のようにをモットーとして生きてきた。
僕はそんな自分を「土砂降りのジェネレーション」と呼称している。
自分の目と自分の全部をどこにいても信じている。
他人が作るガードレールに守られ生きていたくない。
ナイフの上を転がり続け、逆らいながら変えてやる。
俺たちは土砂降りのジェネレーション、雨に打たれて超えてやる。
Every day is upside-down、俺のハートに火が付いた。
戦い続けてやるのさ。
とそんな感じで生きてきた。
そもそもなぜそんなに反骨的に生きてきたかというと、やはり幼い頃の記憶が大きく影響している。
僕は根暗で教室でもいてもいなくても同じようなそんな性格だった。
とにかくみんなの目に触れられたくない、注目をされたくないというネガティブな子だった。
というより僕は赤面恐怖症だったのだ。誰かが自分を注目しているというだけでたちまち顔が真っ赤になってしまう。
「この問題の答えを、じゃあ、オハラ君言ってみて」と先生さされ立たされようものならたちまち顔が真っ赤になって体温が一気に上昇し、額から汗がだらだらでてしまうのである。このことで僕は当時よく苛められたのだ。
僕は授業中ももちろん手を挙げて発言しない子だった。
とにかく非自発的、後ろ向きな子供なのである。
しかしながら、そんな自分を変えようとある日決心した。このままではいけない、日の光を浴びて健全に育つのだ。
そう思ってその日は一時間目から頑張って手を挙げて積極的に発言をした。
先生もまんざらではないという感じで「オハラ君も積極的になってくれたか」と満足気に頷いていた。
すると国語の授業の際に、当時「おじさんの傘」という物語を読んでいた。
その話はダンディなスーツにハットのおじさんがいつもお気に入りの黒い傘を晴れの日も雨の日も持って歩いていて、
でもそのおじさんは雨の時にはその傘はささないで他人の傘に「ちょっと失礼」と入ったり、どんなに濡れてもその傘を差さない。それくらいお気に入りの傘だった。
そんなおじさんがあるとき公園のベンチで佇んでいると雨が降ってきて、それでもおじさんは傘をささずベンチに座ったまま雨に打たれている。そこに男の子がやってきて「おじさん、その傘貸してよ?」と頼んでも無視。男の子が困っているとそこに友達の女の子がやってきて「あら、マー君どうしたの?よかったら一緒に帰りましょう」と相合傘で仲良く「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」とスキップして唄いながら帰っていく。
その様を見て、おじさんもおもむろに傘を広げて同じように「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」とスキップしながら帰っていく。という物語だった。
この日、先生はこの最後の男の子と女の子そしておじさんのやりとりの部分を実際に演じてみようということになった。この時、すこぶる嫌な予感がした。おじさん役は先生がやることにそして「じゃあ男の子の役は…今日は元気よく発言しているオハラ君」と指名された。女の子の方は別段好きでもない子が抜擢された。
僕は絶望を覚えた。どうして僕なのだ?今日、こんなに頑張って自分を変えようと思ったのに。
教室の一番前に立たされ、先生は傘を持って椅子に座っている。そこに僕が「おじさん、その傘貸してよ」と入っていくのだが、もうこの時点で顔面が火を噴きそうに真っ赤になっていて汗が全身から噴き出していた。みんなが注目している、くすくすと僕の下手な演技に笑っている。そこに「あらマー君」と女の子が入ってくる。
そしてここからだ。「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」と相合傘でスキップしながら教室の真ん中をみんなの嘲笑の中、歩くことになった。「ぎゃははは」とみんなが僕を笑う。僕はせっかく変わろうとしたのに、どうして頑張ったのにこんな笑いものにされなければいけないのだろう?どうしてこんな恥をさらさねばならないのだろう?頑張った報いはこれなのか?恥ずかしい、今すぐ殺してくれ。
この日から僕は一切手を挙げることを拒否した。サルでもわかるようなあほな問題でも僕は手を挙げなかった。全身で先生に向かってNOを示した。おそらくあの先生も僕の異変に気付いたと思う。あんなに頑張ったオハラ君があの国語の授業以来、一切発言をしなくなった。そのトラウマを今でも覚えているのだからどれほど僕の心に傷を残したことか。
これが僕の反逆心の芽生えだった。発言をするよりはしない方が良い、注目されるよりは無視される方が良い。ひっそりと自分の道を行けばそれでいい。だから、僕は先生に迷惑をかけない代わりに先生も僕に構わないでくれという決心だった。
子供の頃の体験は非常に重要だ。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
尖り続けよう。みんな心のどこかでパンクスでい続けよう。でも、痛い大人にはならないように。
オハラ
最近お腹が出てきてしまいました。
もう僕も中年です。このブログを始めたころは25歳くらいでしたが、もう31歳になりました。
もういつまでもチャランポランタンに生きているわけにはいきません。そろそろ自分の人生の方角を定めなければいけません。
時がたつのは早い。もう僕の青春は去ってしまった。
ずっと尖って生きてきました。絶対に迎合しない、サークルに入って「ウェーイ」とかやらない。
孤独に歩め、悪をなさず、林の中の象のようにをモットーとして生きてきた。
僕はそんな自分を「土砂降りのジェネレーション」と呼称している。
自分の目と自分の全部をどこにいても信じている。
他人が作るガードレールに守られ生きていたくない。
ナイフの上を転がり続け、逆らいながら変えてやる。
俺たちは土砂降りのジェネレーション、雨に打たれて超えてやる。
Every day is upside-down、俺のハートに火が付いた。
戦い続けてやるのさ。
とそんな感じで生きてきた。
そもそもなぜそんなに反骨的に生きてきたかというと、やはり幼い頃の記憶が大きく影響している。
僕は根暗で教室でもいてもいなくても同じようなそんな性格だった。
とにかくみんなの目に触れられたくない、注目をされたくないというネガティブな子だった。
というより僕は赤面恐怖症だったのだ。誰かが自分を注目しているというだけでたちまち顔が真っ赤になってしまう。
「この問題の答えを、じゃあ、オハラ君言ってみて」と先生さされ立たされようものならたちまち顔が真っ赤になって体温が一気に上昇し、額から汗がだらだらでてしまうのである。このことで僕は当時よく苛められたのだ。
僕は授業中ももちろん手を挙げて発言しない子だった。
とにかく非自発的、後ろ向きな子供なのである。
しかしながら、そんな自分を変えようとある日決心した。このままではいけない、日の光を浴びて健全に育つのだ。
そう思ってその日は一時間目から頑張って手を挙げて積極的に発言をした。
先生もまんざらではないという感じで「オハラ君も積極的になってくれたか」と満足気に頷いていた。
すると国語の授業の際に、当時「おじさんの傘」という物語を読んでいた。
その話はダンディなスーツにハットのおじさんがいつもお気に入りの黒い傘を晴れの日も雨の日も持って歩いていて、
でもそのおじさんは雨の時にはその傘はささないで他人の傘に「ちょっと失礼」と入ったり、どんなに濡れてもその傘を差さない。それくらいお気に入りの傘だった。
そんなおじさんがあるとき公園のベンチで佇んでいると雨が降ってきて、それでもおじさんは傘をささずベンチに座ったまま雨に打たれている。そこに男の子がやってきて「おじさん、その傘貸してよ?」と頼んでも無視。男の子が困っているとそこに友達の女の子がやってきて「あら、マー君どうしたの?よかったら一緒に帰りましょう」と相合傘で仲良く「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」とスキップして唄いながら帰っていく。
その様を見て、おじさんもおもむろに傘を広げて同じように「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」とスキップしながら帰っていく。という物語だった。
この日、先生はこの最後の男の子と女の子そしておじさんのやりとりの部分を実際に演じてみようということになった。この時、すこぶる嫌な予感がした。おじさん役は先生がやることにそして「じゃあ男の子の役は…今日は元気よく発言しているオハラ君」と指名された。女の子の方は別段好きでもない子が抜擢された。
僕は絶望を覚えた。どうして僕なのだ?今日、こんなに頑張って自分を変えようと思ったのに。
教室の一番前に立たされ、先生は傘を持って椅子に座っている。そこに僕が「おじさん、その傘貸してよ」と入っていくのだが、もうこの時点で顔面が火を噴きそうに真っ赤になっていて汗が全身から噴き出していた。みんなが注目している、くすくすと僕の下手な演技に笑っている。そこに「あらマー君」と女の子が入ってくる。
そしてここからだ。「雨がふったらポンポロロン、雨が降ったらピッチャンチャン」と相合傘でスキップしながら教室の真ん中をみんなの嘲笑の中、歩くことになった。「ぎゃははは」とみんなが僕を笑う。僕はせっかく変わろうとしたのに、どうして頑張ったのにこんな笑いものにされなければいけないのだろう?どうしてこんな恥をさらさねばならないのだろう?頑張った報いはこれなのか?恥ずかしい、今すぐ殺してくれ。
この日から僕は一切手を挙げることを拒否した。サルでもわかるようなあほな問題でも僕は手を挙げなかった。全身で先生に向かってNOを示した。おそらくあの先生も僕の異変に気付いたと思う。あんなに頑張ったオハラ君があの国語の授業以来、一切発言をしなくなった。そのトラウマを今でも覚えているのだからどれほど僕の心に傷を残したことか。
これが僕の反逆心の芽生えだった。発言をするよりはしない方が良い、注目されるよりは無視される方が良い。ひっそりと自分の道を行けばそれでいい。だから、僕は先生に迷惑をかけない代わりに先生も僕に構わないでくれという決心だった。
子供の頃の体験は非常に重要だ。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
尖り続けよう。みんな心のどこかでパンクスでい続けよう。でも、痛い大人にはならないように。
オハラ