環境の変化と自律行動 | ラジオ!Yotsugi Busters!!

環境の変化と自律行動

どーも、オハラです。

僕は最近いろいろと鬱になっております。

別に無職というわけではありませんが、宙に浮いた感じというか、
英語ではup in the airなんて言いますね。映画「マイレージマイライフ」も原題は「Up in the Air」です。

まあ、もともとネガティブな性格で悩んでばかりな性分ですが、
最近は特にそれが顕著になってきました。

というのも、僕はそろそろ30歳を迎えます。
まさか自分が30歳になるとは誰も若いころは想像できないでしょう。
20代は何かあっても「まだ20代だしな」と若さで解決してしまったが、
その言い訳もだんだん苦しくなってきた。

とはいえ、40歳になったら今度は「30歳のころはまだ若かったな」という風に
しみじみ思うのは目に見えている。結局、人間は心ここに非ずで現実を直視できないというか、
何かに理由を付けて、行動に移したりしないのである。
こういう時、前にブログで書いたA君のような猪突猛進な人間がうらやましく思える。
周りを見ないで己の道だけを突っ切れる、結果友人をかなり失ったわけですが。
何かを得るには、犠牲はつきもの。僕には犠牲にする勇気が無いのだと思う。

もう少し冷静に自分自身を見つめ直してみると、どうしてこんなにもむなしい気持ちなのかというと、
まず最近になって28年目にして初めてできた彼女とちょうど1年目で別れてしまったことと、
輸入企業に勤めているので、円安でかなり値上がりを余儀なくされ、お客さんに怒られてばかり。
アベノミクスのせいにしてこんな無茶な値上げをやりまくっていたらそれこそお客さんもどんどん離れていってしまうのではないか?
現実にそれが表れ始めているので、ここのところ業績の良かった弊社だが、一気に落ち込んで、
リストラにあってしまうのではないかという不安が拭い去れない。

まあ、他にも友人関係など大人になっていろんな環境の変化が一気に襲ってきて、
どうもうまく対処できぬ状況である。

これではいかんと欲す、この充足を得られない状況においての打開策としたら、
やはりそれは自分のやりたいことや夢を見つけることだろう。
考えてみれば贅沢な話かもしれない。僕は結婚して子供がいるわけじゃないし、
交際相手も婚約相手もいない。だから、仕事がなくなってもまだ気楽な方だ。
地元の友人でかなり大変な職場で働いている人がいる。
彼の職場は上から圧力が強く、どういう命令されるのか知らないが、
無茶ブリに罵声も飛んでくるような環境でサビ残の強要までは無いが、とにかくストレスがたまるという。
こうなると職場の人たちもストレスでどんどん体をやられ、まずは難聴気味になっていくのがその初期症状だという。
そこからさらに進むとバセドウ病にかかり眼球が突出してくるのだという。
冗談で言ってるのかと思ったが、どうやらこれは本当らしく、気の強い江戸っ子気質の彼だが、
「俺も辞めて、おやじの仕事を継ごうと考えている」と本気で言っていた。

彼もまだ結婚や交際相手がいないので、辞めることは可能だ。
だがそんなバセドウ病になっても尚、家庭をもっている同僚たちはやめることができないのだ。
これが現実だが、僕は常に体を壊して倒れて働けない体になってからでは遅いと思う。
まだ体が動くうちに、今は共働きなんて当たり前の世の中なのだから、もう少し自分に合った場所でもいいと思う。

閑話休題

僕の今の環境はまだ恵まれている方だ。
給料は高くはないが、必ず定時に帰れるし、高齢の方々が大半の5人くらいの
小さなオフィスだが無理難題を押し付けて「おまえがなんとかしろよ?」ということはさせない。

自分の時間も持てる環境なので、何かを始めてみようと思うのだが、
高校生のごとく自分のやりたいことがどうも見つからないのである。

冷静に整理すると、実は僕はもうある程度の夢が全て叶ってしまったのである。
結果別れてしまったが彼女もできたし、留学をしたいという夢も親の財力のおかげで叶えることができた。

だからこれ以上、僕が何かを望むことは強欲なのではと思ってしまうのである。
世の中には留学に行きたくても行けない人もいるし、彼女がほしくても諸々の事情で一生機会に恵まれない人もいる。

まあでも、こういうことを言うときりがないし、何も始められないので、
もう少し自分に素直になって、強欲でも構わないから何がやりたいかを考えてみよう。
しかしながら、このUp in the airな感覚ではなかなかエネルギーが湧かず、
一人でいるとどんどんネガティブになっていく。

そこで思いついたのが自慰行為の制御である。
僕は10歳のころに自分で編み出して以来、風邪や旅行などの特別な場合を除いて、
ほぼ毎日やってきた。

これだけは本当に継続していて、今年でちょうど20周年目に突入する。
僕の場合はもう動画に頼ったりすることもなく、想像だけで快楽を得ることが可能となっている。

しかしながら、僕の生来のこのネガティブな性格と驚くほどの集中力の無さ、体力の無さ、
こういったことがどこに原因があるのかわからなかったが、どうもこの自慰行為が起因しているように思えてきた。

僕は特に持病もちというわけでもなく、親が大事に傷一つつけずに産んでくれたので、
生まれてこの方、風邪以外の病気を患ったことがない。
家庭環境も両親ともに仲が良く、とても円満でどちらかというと裕福な家庭に育ったのだが、
どうも僕は精神に少なからず影響があるように思えるし、あれだけ勉強の環境を整えてもらったのだが、
一向に成績がのびなかった。

今までのことを思い返してみると、受験時も試験の時もやはり僕は変わらず自慰行為を続けていた。
男子ならわかるが、終わった後に突然「俺は何をやっているのだろう?」という得も言われぬ虚無感に襲われる。
よくよく思うとこの感覚は必要不可欠で、一通り「終わった」と思える箇所が男子の性欲には設けてある。
これが無いと永遠に疲れて飽きるまでセックスを続けてしまうだろうし、それこそ我慢ができずに性犯罪が多発するだろう。

しかしながら、自慰行為という名前の通り、完全なる自己満足でこれをするとあらゆる事象がどうでもよくなる。
ダウナー系のドラッグとかなり似ている。(やったことないけど)

とりわけ男の衝動、すなわち何かをやってやろうとするエネルギーの原動力は「性衝動」である。
もてたい、あの子とやりたい、あの子の気を惹きたい、目立ちたい、などから、
もっと現実的に言えば「結婚したい、仕事ができる男になりたい、金が欲しい」これらの衝動も全て、
最終的には女性との性行為にベクトルが向いている。

みんな涼しい顔をしているが、男たちは常に頭の中で卑猥なことを考えている。
この季節になるとどんどん薄着の女性が増えてくるが、通勤の電車でつり革につかまって、
スマホでパズドラに熱中している女性も、眼前に座ってビジネス書を険しい顔で読んでいる中年サラリーマンの頭の中で、
とてもソフト化できないようなやり方で凌辱されているのである。

つまり男性のエネルギー源は「やりたい」という衝動。
そして、それを燃焼し「やってやるぞ」といろんな努力をするものだが、
それが自慰行為で意中の相手などを想像しやってしまうと、あの独特の虚無感がたちまち襲ってきて、
「俺は何をしているのだろう。こんなことをしている自分をあの子は好いてくれるはずがない」と劣等感しか襲ってこない。
すっきりはするがせっかくのエネルギー源の性衝動を自慰行為という完全なる自己満足で解決していまい、
それを別の形で発揮(これを昇華という)することもなく、いわば自己完結をしてしまう。

精液にはタンパク質や亜鉛などの貴重な栄養分が含まれていて、これを体外へ放出してしまうのは明らかに良い行為とは思えない。
集中力も切れるし、行く瞬間にランナーズハイに似た感覚が脳によぎるという。
実はこれで年間多くの人が自慰行為中に死亡しているケースがあるという。
報告されているだけのデータしかないが、遺族たちが恥ずかしさからそれをごまかすケースが多々あることを考えると、
もっと多くのケースがあると思われる。
つまり体がどっと疲れるのである。

僕は今年で20周年目を迎えるので、一度この連鎖を断ち切ってみようと思う。
結局どれだけ執念を燃やして、劣等感からの「やってやる」というモチベーションも、
この一回の自慰行為で解決し、何もやらないまま終わってしまっていることがほとんどの人生を送ってきた気がする。

ずっともてず、彼女もできない童貞人生を長く送ってきたが、
もう僕はいたずらにセックスに神々しく思いをはせる時期は通り過ぎたのだ。
その思いが強すぎたがために、僕は毎日自慰行為という儀式をやり続けてきた。

しかしながら、その代償は僕が気が付かなかっただけで甚大なものだったようだ。
一度この負の連鎖を断ち切ってみようと思う。

こうして自分を奮い立たせ、自慰行為も知らなかった幼少期の無限大の可能性を取り戻そうと思う。

これも自己満足かもしれないが、何もやらないよりは何倍も増しである。

今後の報告にこうご期待。

オハラ