オハラの社会人生活〜辞職までのカウントダウン〜
どうも、オハラです。
さて、私はついに来週の金曜日に仕事を辞める訳ですが、なかなか辞めるというのも一苦労で、まず辞めると言ってから本当に辞められるまで一ヶ月かかるので、その一ヶ月間は周りの同僚達の「こいつやめちまうんだ」という冷たい視線などを気にしながら結局は辞めるその瞬間まで激務は変わらず毎日家に帰るのは0時という状態が続くのが現実である。
ということで、たった5ヶ月ではあったが僕の社会人生活を振り返ってみよう。
1月11日に僕は岩本町の小さな、本当に小さなグラフィック会社で仕事が始まった。就職する前はグラフィック業界について調べたところ、「あまりにもきついからやめたほうがいい」とか「人間が嫌いになる」とかあまりにもネガティブなことばかりが書いてあるもんだから違う業種も考えたのだが、いかんせん僕はグラフィックデザインを学んだ訳でこれを活かして就職しない手はないと思ってこっちの業界に決めたのだ。
しかしながら、いろいろと考えて気がつくべきだったのはこんな就職難の時代にグラフィックデザイナーという仕事は常にどこでも募集が行われていて「経験不問、おいでませ」てな感じの華やかな門構えなわけで、これは何を意味するかというと出入りが激しく常に人が辞めて行くということを表しているのである。
現に僕の友人もグラフィック会社に就職していて尿道結石になったりほとんど寝ていなかったりと会う度に顔が土気色になって目が真っ赤に腫れているのを見ると自分は不安でしかたなく、「大丈夫、仕事は仕事だ。こんなときに悠長なこと言ってられないぜ」てな感じでビールをがぶ飲み、酔いに任せては深夜の亀有の駅周辺をうろついてはPeter Bjorn & John'sの「Young Folks」のイントロの口笛をまねしたりしながら喜楽な様を振る舞っていた。
こうして、仕事が始まると社員はたったの8人程度でそのほとんどが女。女ばかりでウハウハな気分をしばし覚えるのもつかの間で、早速仕事が始まりillustratorやphotoshopなどでチョイチョイと印刷物を制作しわからない箇所は何度も僕の付き添いの先輩女性(仮に神岸さんと呼称)を疲労困憊させた。
定時の6時30分になると「もう帰って良いよ」と神岸さんが言うもので「それでは失敬」と僕は鞄を抱えてエンターテインナーがよくやるように右手を腹に当てながら頭を垂れるとそそくさと帰路についた。冷たい夜風とネオンの町中を歩きながら「ああ、僕は社会人生活をようやくスタートさせた、こうして僕は社会の一つの役割、すなわち歯車の一部、いや、ネジかボルトのような微細なそれでいて必要不可欠なそんな存在にはなれているのだろう」なんてことを思いながら斉藤和義の「歩いて帰ろう」を口ずさみながら肩で風を切って、家まで歩いた。
思い起こせば、後にも先にも定時に帰れたのはこの日だけだったのかもしれない…
続く
次回「オハラ、恋のスピードウェイ」
ご期待下さい。

Yotsugi Bustersのラジオを是非お聞きください。
さて、私はついに来週の金曜日に仕事を辞める訳ですが、なかなか辞めるというのも一苦労で、まず辞めると言ってから本当に辞められるまで一ヶ月かかるので、その一ヶ月間は周りの同僚達の「こいつやめちまうんだ」という冷たい視線などを気にしながら結局は辞めるその瞬間まで激務は変わらず毎日家に帰るのは0時という状態が続くのが現実である。
ということで、たった5ヶ月ではあったが僕の社会人生活を振り返ってみよう。
1月11日に僕は岩本町の小さな、本当に小さなグラフィック会社で仕事が始まった。就職する前はグラフィック業界について調べたところ、「あまりにもきついからやめたほうがいい」とか「人間が嫌いになる」とかあまりにもネガティブなことばかりが書いてあるもんだから違う業種も考えたのだが、いかんせん僕はグラフィックデザインを学んだ訳でこれを活かして就職しない手はないと思ってこっちの業界に決めたのだ。
しかしながら、いろいろと考えて気がつくべきだったのはこんな就職難の時代にグラフィックデザイナーという仕事は常にどこでも募集が行われていて「経験不問、おいでませ」てな感じの華やかな門構えなわけで、これは何を意味するかというと出入りが激しく常に人が辞めて行くということを表しているのである。
現に僕の友人もグラフィック会社に就職していて尿道結石になったりほとんど寝ていなかったりと会う度に顔が土気色になって目が真っ赤に腫れているのを見ると自分は不安でしかたなく、「大丈夫、仕事は仕事だ。こんなときに悠長なこと言ってられないぜ」てな感じでビールをがぶ飲み、酔いに任せては深夜の亀有の駅周辺をうろついてはPeter Bjorn & John'sの「Young Folks」のイントロの口笛をまねしたりしながら喜楽な様を振る舞っていた。
こうして、仕事が始まると社員はたったの8人程度でそのほとんどが女。女ばかりでウハウハな気分をしばし覚えるのもつかの間で、早速仕事が始まりillustratorやphotoshopなどでチョイチョイと印刷物を制作しわからない箇所は何度も僕の付き添いの先輩女性(仮に神岸さんと呼称)を疲労困憊させた。
定時の6時30分になると「もう帰って良いよ」と神岸さんが言うもので「それでは失敬」と僕は鞄を抱えてエンターテインナーがよくやるように右手を腹に当てながら頭を垂れるとそそくさと帰路についた。冷たい夜風とネオンの町中を歩きながら「ああ、僕は社会人生活をようやくスタートさせた、こうして僕は社会の一つの役割、すなわち歯車の一部、いや、ネジかボルトのような微細なそれでいて必要不可欠なそんな存在にはなれているのだろう」なんてことを思いながら斉藤和義の「歩いて帰ろう」を口ずさみながら肩で風を切って、家まで歩いた。
思い起こせば、後にも先にも定時に帰れたのはこの日だけだったのかもしれない…
続く
次回「オハラ、恋のスピードウェイ」
ご期待下さい。

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