映画から学べるものは無限大、正義を貫け!! | ラジオ!Yotsugi Busters!!

映画から学べるものは無限大、正義を貫け!!

僕の父親は映画マニアで小さい頃から映画に囲まれて育った僕はいろんなものを映画から学びました。

映画から学べるものは無限大ですね、モンチョイさんの言うように文学から学べるものはもっと無限大ですが、活字がダメなら映画をたくさん見ましょう。そこからたくさんの人生哲学や正義、道徳、愛を学べることでしょう。

僕が中学生くらいのときに見て心に深く残った作品はこれですね。

「シンドラーのリスト」

有名な映画なのでほとんどの人がご覧になってるかも知れませんがまだ見ていない人はおすすめです。

1993年に作られたスティーブン・スピルバーグ監督作品ですね。全編あえて白黒で描かれてる作品です。最後にちょっとだけカラーになるのですが、ネタバレも含めて説明をするのであしからず。

ストーリー

1939年9月、ナチス・ドイツ軍によりポーランドが占領され、ポーランドの都市クラクフもドイツ軍の占領下に置かれ、ユダヤ人を激しく蔑視するナチスはクラクフ在住のユダヤ人に移住を強制し、彼らをクラクフ・ゲットーの中へ追放し彼らに過酷な労働を強いていた。
そんな中、ナチ党の党員でもあるドイツ人実業家オスカー・シンドラーが、クラクフの町へやってきた。彼は戦争を利用してひと儲けすることを目論み、潰れた工場を買い取って琺瑯容器工場の経営を始めた。
有能なユダヤ人会計士イザック・シュターンに工場の経営を任せ、安価な労働力としてゲットーのユダヤ人を雇い入れ、また持ち前の社交性でSS(ナチスの親衛隊)の将校に取り入って自らの事業を拡大させていった。
しかしやがて残虐なSS将校アーモン・ゲート少尉がクラクフ・プワシュフ強制収容所の所長としてクラクフに赴任してきた。ゲートとその部下のSS隊員達は、ゲットーや収容所においてユダヤ人を次々と殺戮していく。シュターン初め、シンドラーの工場で働くユダヤ人たちにも危機が迫る中、金儲けにしか関心がなかったシンドラーの心境に変化が生じていく。そして彼はあるリストの作成を決意する・・・。


というもの。この話はまぎれもない実話でシンドラーさんはナチス党員でもあるにもかかわらずユダヤ人を虐殺することに大反対だった。同じ人間同士なのに虐殺なんて馬鹿げていると彼はこの暗黒の時代に正義を貫いたのである。

とりわけ僕が好きなシーンはまず最初の方にある、あるユダヤ人がシンドラーさんに「雇ってほしい」と頼みに来るシーン。シンドラーさんの工場なら虐殺される心配がないことを知っていたそのユダヤ人は「お願いします」と懇願するがシンドラーさんは「何言ってるんだ?うちを託児所かなんかと間違えてるんじゃないか?」と怒鳴りつけて追い返してしまう。しかし、その後でシンドラーさんは苦虫を噛み潰したような顔をして会計士のイザックに「さっきの人を雇ってやってくれ」とつぶやく。ここに彼の人間としての優しさを強く感じた。

そしてとりわけ、涙したシーンはやはり最後のシーン。結果的にシンドラーさんはユダヤ人のホロコーストの中で1100人以上ものユダヤ人を救った正義の人なのだ。ナチスの勢力が増して戦争が激化する中、シンドラーさんはその1100人ものユダヤ人を田舎の方の外れにある工場へと収容する、そうして一人でも多くのユダヤ人を助けようとしたのだ。

そして、戦争が終わりヒトラーは失脚、ここで悲しいのは一人もユダヤ人を殺していない、むしろ助けてあげたはずのシンドラーさんは実質ナチス党員だったため戦後の戦争犯罪人になってしまう。「私は戦争犯罪人だ、今夜夜逃げしなければならない」とユダヤ人たちに告げる。

するとユダヤ人たちはシンドラーさんにせめてものお礼をしようと僅かな金属や金歯などを抜いてもちよりシンドラーさんの為に指輪を作り、さらに1100人全員が「私たちはシンドラーさんに助けられました」と書いた署名をしたためた。

夜逃げの夜、1100人のユダヤ人の前で別れを告げるシンドラーさん。そしてユダヤ人たちは金の指輪と署名を渡し「もしも捕まったらこれを役立ててください」と告げる。それをもらったシンドラーさんは涙にくれる。

「みんなありがとう…でも私はもっとたくさんの人をすくってやれることができたはずだ…私はちっぽけな人間だ。この車を売ればあと1000人くらい助けられたはず、この勲章を売ればあと500人は助けられたはずだ…なのに私は何もできなかった…」

涙を流すシンドラーさんに会計士イザックは優しく「これだけたくさんの人を救ったのに、何を言うんですか?」と慰める。「みんなありがとう、ありがとう」と言ってシンドラーさんは車に乗って夜道を逃げていく。

そして映画はラストのシーン、ここでは実際にシンドラーさんに助けてもらったユダヤ人の本人たちが出演し、シンドラーさんのお墓に石を置いていくシーンが描かれる。ここの部分だけはカラーで描かれ映画の終を告げている。

監督のスピルバーグは「血に染まった金はもらえない」と監督料の受け取りを拒否したという。

すばらしい作品だった。まだ見てない人はおすすめ。

ところで日本にも「日本のシンドラー」と呼ばれた人がいたのをご存知かな?それは杉原千畝(すぎはらちうね)という人だ。

ちうねという発音の難しさから当時は「センポ」と呼ばれていたそうな。杉原さんは第二次世界大戦当時にリトアニアのカウナス領事館に外務省から赴任を命じられそこに滞在していたのだが連日大量のユダヤ人たちがビザの発給をもとめておしかけていた。

その光景を見た杉原さんは「日本政府に許可を申請してみる」と約束し、早速打診するも当時の日本はドイツとの同盟関係にあったためユダヤ人を助けることはドイツの政策に反することとなるためなかなか首を縦に振ることが出来なかった。どうやら当時の日本はユダヤ人に対して中立の立場をとっていたらしく「迫害はしないが助けもしない」というあやふやな位置だったそうな。

何度、掛け合っても「ちょっと待ってて」と日本政府にお茶を濁されて永遠に答えを得られないと悟った杉原さんはもう我慢ができなくなり、連日押しかけては泣きながら懇願し中には靴にキスをしてくるユダヤ人たちに正義の血がうずき、ユダヤ人たちが亡命できるように外務省の命令を無視しほぼ無制限にユダヤ人たちにビザを発給した。

一人でも多くの人を救おうと押しかけてくるユダヤ人に次々とビザを配り途中から記録するのもやめて、およそ6000人ものユダヤ人にビザを配ったという。ソ連からの領事館撤退命令が出ていたにもかかわらずギリギリまで杉原さんは滞在し、しまいにはビザに貼る印紙がなくなってもなお「出国のための領事特別許可書」を代用して杉原さんがベルリン行きの列車に乗るホームの中まで発給を続けていたという。

シンドラーさんに比べると知名度は低いが、これほどまでの正義の人が日本にいたことを僕は誇りに思う。どんな権力にも屈せず間違ってるものにはめんと向かって「NO」と叫び自分の命も顧みずに正義を貫く。満州で日本軍から差別を受けていた現地人を助けたという報告もある、杉原さんの奥さんはそんな彼を「ただ純粋に正直な人」と言っていたそうだ。

後に杉原さんは彼の人間性を現すこんな言葉を述べている。

「私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれないが、人間としては当然のこと。私には彼らを見殺しにすることはできなかった 。私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」

Yotsugi Bustersは正義を貫きます。

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