2024年4月6日、観劇しました。
2箇月も経ってしまいましたが、五十嵐かいと ちゃんとのチェキの出来が良いので あきらめず考察を書きました🌿
 
好意と憎悪の線を視ることができたら蜘蛛の巣のようになってしまいそうなキャラクターたち。そして誰も助からないバッドエンド。
何が希望を失わせてしまったのでしょうか。やはり あの飲むヤクブツでしょう。
'夢月'は複数の人から強烈に愛されていましたが、彼女の人柄が快いからでしかなかったように思われます。彼女がなぜ性癖的にコ口されたがっていたのか、その闇が劇中で明かされなかったのは、そこに触れるほどの関係に至る人がいなかったからでしょう。最も親しかった(?)'世兎'の愛でも、その質は利己的といえる域を脱していなかったといえます。飲むヤクブツによる幻覚で愛する故人と会い続けることは、精神的な愛を物理的な依存に変換してゆきます。飲んだり食べたりして体に摂りこむことは、捧げることの逆です。つまり、飲むヤクブツで夢月に会っていた人は みな真実の愛に至らなかったのです。幻覚でしか会えないので夢月が実在しなかった可能性が考えられましたが、弟'宇沙'の存在によって その説は否定されます。彼が姉の姿を再現しようとしていたのは、愛しかたが特殊であるだけでなく、夢月が実在したことを表わすキャラクターの役目を果たすことでもあるでしょう。
夢月に幻覚で会っていたのが世兎だけでありませんでしたので、そのヤクブツには'最も欲しているものを見せる'効果があるのかも。登場キャラクターの他にも消費されている様子でしたので、そのヤクブツは夢月を見せる専用ではありません。
幻覚は、促されたとしても自身から生れますので、そこで会う人はみな、主観に制限された質をもちます。だから、服用していなかった宇沙が最も正確な夢月の性格などを知っていたと思われます。しかし表面を真似る行為が悲しい結末に のまれる運命を示していましたね。
終盤で世兎たちがポジティブに向きはじめたのに間に合いませんでした。食習慣の改善が数日で成功に至らないように、ヤクブツで失われた時間がまさってしまいました。
物語には'こうすればよかった'という正解があるとはかぎりません。'そうなってしまった'でしかありません。実際の人生も。
'こどうさ'では、とにかく、知人のために動いてくれていた'真宵'が最も気の毒でした。
 
…長文お読みいただき ありがとうございました。なぜか'最も'を多用してしまいました🌿
 
あらためて思ったこと、
愛は'摂るより捧げる'べき。