結局はいつも同じことを書くことになるのだが、昨日の読売新聞の1面の社説を以下に引用したい。

 

====

  通常国会が21日、事実上閉会した。自民党の政治資金パーティー問題で大揺れだった国会を通じて浮き彫りになったのは、弛緩し、劣化した政治がもたらしている危機的状況だ。

  資金問題を起こした安部派の幹部は、問題は慣習的に行あwレ、自ら主導したわけではないなどと弁解に終始し、積極的に説明責任を果たそうとうする者は誰一人いなかった。

  自民党総裁でもある岸田首相は、世論を意識して派閥解消を訴えたものの、政治改革では派閥幹部らの反発に苦慮し、指導力をはたせなかった。国民には、首相がなにをしたいのかという信念とそれを実行する覚悟が見えず、指示しるの低下を招いていると言えよう。

  自民党執行部も、それぞれの政治的立場や塩飽を背景にした足並みの乱れが目に付いた。日本の政治中枢の当時不全には、不安を感じざるを得ない。

■■■■■■■

*ここまでが、現在の日本の政治を嘆くくだり。これらは全く同感だが、ただ批判していても仕方がない。政治家さんには頑張って貰うしかないし、自らを律する誠実さが強く望まれる。問題は以下の部分だ。これは我々の生き様に直接関係する。

 

■■■■■■■

  日本を取り巻く環境は、極めて厳しい。少子高齢化や経済の低成長などで国力の低下が止まらない中、中国、ロシア、北朝鮮などの先生主義国家が日本の平和と繁栄の基盤である自由で開かれた国際秩序を公然と毀損している。

  政治は本来、この難局をどう突破していくのか、徹底的に議論し、国民の理科を得て対策を講じていくことが求められているのに、小手先の弥縫策や政局的な振る舞いが目出し、危機意識の欠如が著しい。

  政治不信を払拭し、政治の機能不全を告白することが急務である。9月にも自民党総裁選が予定され、衆院議員の任期満了までは1年4が月となった。正解は浮足立っているが、内外の難局は日本製会の猶予を許してはくれない。政治の空白を作ってはならない。

 

■■■■■■■

  これを読んで我々は何ができるかを考える。ちょうど直近では、都知事選のポスターの掲示板が同じポスターで半分埋め尽くされたり、猥褻なポスターが貼られたりしている。若者のモラルは地に落ち、ひ弱さが目立ち、自分を律してリーダーシップを発揮できる人は少ない気がする。「昭和世代は厳しい」ということもよく言われるが、他人というよりも、自分に厳しくできる人が今よりはるかに多かったと思う。ただ、それは個人の問題ではなく家庭教育も含めた問題なので、根が深い。まあ「盛者必衰」というのはこういうことだと思えば、これは道理なのだが、世界の食糧市場での「買い負け」も起きてきており、結局、日本は経済力が衰えれば生活は悪くなり、一等国から脱落するだろう(もうしている)。先輩世代が築いた日本の財産・蓄積は、物質的にも精神的にも少しずつ消費される一方で、新たな積み上げがない。

  ただ、思い起こすことは、80年前日本は敗戦を経験し、一度は国全体が地の底に落ちた。我々の希望は、その時に先人達が絶望からの復活を成し遂げたことだ。その時の日本人の強さ(=戦中・戦後を切り抜けた精神的強さ)は、きっと我々の奥底にはあるはずだ。資源も食糧も乏しい国だが、今こそ、もう一度ゼロから出直す心意気を持って、皆で立ち上がることが重要なのではないか。これからしばらくは、今日より明日が悪くなる、微分係数マイナスの時代が続いていくだろう。いわば、「ゆっくりとした敗戦」だ。でもそんな中で、ゼロにあることを精神的には自覚して、今日より明日がよくなるように、開き直って貪欲に何かを積み上げていこうではないか。私自身はといえば、教育に関わっていて、次世代育成の問題の根幹にいる。やるべきことは多く、心身は衰えていくが、力を振り絞って教育と研究に臨みたい。

  望みはある。そんな中でも、ひたむきに研究に打ち込み、誠実に他人に対応し、よりよい物を築こうという若者はいる。彼らの努力が、日本の微分係数の増大につながるように、頑張らなければならない。