再度八代亜紀さんについて。「舟唄」をテレビで歌われている時には、あの曲が好きでいつも聞き入っていたけど、亡くなられてから関連する記事を拝見して、本当に大事な人、惜しい人を亡くしたなあと、改めてその死を悼み、大きな喪失感に苛まれている。

 

この人が歌っている姿をみると、自分のために歌っているのではなくて、周りの人を楽しませるために歌っている、ということがひしひしと感じられる。歌手と言えば、「自分のために」、「自分が好きで」歌っている人が多いと思うし、それでいいと思うんだけど、この人はそうではなかった。周りの人をいつも考えているような人が早世してしまうのは、本当に悲しい。実際、八代さんについては、以下のような記事が多く出されている。

 

=======

(八代さんは)ボランティアに尽力していたことでも知られる。73年に「なみだ恋」がヒットしたことで「ヒットのお礼に恩返しがしたい」とボランティア活動をスタート。同年に少年院への慰問を始め、81年から女子刑務所の慰問公演を開始。ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の両親が、八代さんと同じ熊本県出身という縁で、ペルーへの支援も。94年には学校(ヤシロアキ工業技術学校)を設立した。2011年の東日本大震災の後に被災地を訪れ、体育館で寒さに震える被災者の姿を見て数千枚の畳を届け、その心遣いに涙する被災者も。

=======

 

本当に周りの人のことをいつも考えている人だったんだなあ、と思う。まあ、それだけ聡明で実力があり自信もあるから他の人も助けられる、ということはあるのだと思うけど。私もせめて自分が関わった人には何かを返せる人間になりたいと、八代さんをみて改めて想った。自分も沢山の幸運に恵まれ、沢山の人の世話になって生きてきたのだから。

 

こんな女神のような八代さん。このように稀有な方、今の日本に絶対に必要な人だし、もっと今の日本にいてほしかった。