まあ、ステレオタイプといえばステレオタイプな意見ではあるが、日本の将来がとても心配だと感じる。特定の誰かが悪い、ということでは全くなく、若者世代全体の人間力が低下している。ずっと以前から、私はイチローさんが以下の記事で述べていることと同感であり、特定の誰かが、というよりは、教育のあり方とか、それを生み出す風潮に重大な問題があると感じる。

 

 

苦しいこと厳しいことがnegativeにとられてしまう風潮を止める必要がある。日本の戦後の繁栄は、戦争をくぐり抜けた国民みんなが、貧しい状況で苦しい努力を続けてきたから成し遂げられたことであり、その意識は以前は誰もが共有していた。だから誰もが、他人に負けないぐらいの努力を続け、切磋琢磨してきた。私自身も、厳しいことも沢山言われ、高校時代の部活では先生からビンタを受けたことも何度もあるが、それらを問題だと思ったことは一度もない。後者は今の風潮では許容されないことは分かっているし、自分自身もそれをしたことはないが、自分の経験としては、理由があってされたと思ったので、むしろ有難かったと思っている。

 

何かを成し遂げようとすれば、必ず多くの試練がある。多くの人が挑戦を避ける難事だからこそ、それを成し遂げることに意味がある。今のように恵まれた環境で厳しいことも言われずに成長してしまう場合、ひとかどの人間になろうとするなら、こうした逆境を自らに課す必要があることを意味するが、これは簡単なことではない。克己心とか忍耐力とかという、今では殆ど死語のような言葉を美徳としなければ、世界に冠たる何かを成し遂げることなで、決してできない。

 

翻って自分自身を思えば、かくいう私自身も、あるべき姿を自分の子供(二人の子供は現在大学生)にどれほど厳しく教えられたかには疑問がある。怒れば、忙しくて滅多に顔を合わせない子供にどう思われるかを気にして、手加減してしまう。もっと勇気を持って、将来の各人の人格形成のため、そして日本全体のために、若者に(理屈をもって)厳しく接していく必要がある。もう何度も言われてきたことだが、怒ることの方がもっと辛いことなので、それを支持する声が無ければ、誰も何も言わなくなってしまう。こんな簡単なことでさえnegativeにとられてしまう今の日本の現状が本当に怖い。

 

私が心から尊敬するベートーベン先生のお言葉「困難を突き抜けて、歓喜へ至れ」。困難があるからこそ、大きな喜びや幸せがあるのだから、挑戦しよう。それが人を成長させ、新しい地平線をもたらしてくれるのだから。