コロナ禍が収束しつつある2023年は,私も欧州に出張する機会に2度恵まれ,その都度印象深い経験をした。まず8月に私が委員をしているIUPAC原子量委員会(過去の委員にはMarie Curieもいる)に参加した際,ついでに寄ったパリ地球物理研究所(IPGP)では,敷地内にM. Curieの実験建屋が保存されており,10tのピッチブレンドから1 gのラジウム(Ra)を分離したM. Curieの偉業を改めて実感した。2つ目は,3月に行った北アイルランド調査の合間に15年ぶりに訪問した英国マンチェスター大学。Ernest RutherfordらがRaから発せられるα線を用いたラザフォード散乱で原子核を発見した実験室を見学した。15年前は実験室が水銀で汚染されていたためこの部屋は入室禁止だったが,今回は綺麗になり中に入ることができた。大学キャンパス内で,金箔へのα線照射が行われた実験室を見ることができ感慨深かった。その後,Rutherfordの薫陶を受けた米国人のBertram Boltwoodは,初めて放射年代測定を地質試料に適用することになる。

 

 それから約120年が経過した。その後,放射年代測定は大きく発展し,地球の年齢は46億年と結論づけられている。この46億年を1年に例えると,人類が生まれたのは大晦日の16時,人間100年の一生は1秒に当たる。この事実は,364日の奇跡の果てに我々が生きていることを実感させる一方で,次の1秒で地球の環境・エネルギー・資源はどうなるのかという問題も突き付ける。一方,M. Curieが分離したRaは,発見後数10年間は様々に利用されたものの,その後,核力由来の大きなエネルギーを持つ放射性核種には,負の側面がついて回った。そのような中,近年のα線核種によるがん治療の飛躍的発展により,223Raは骨転移した去勢抵抗性前立腺癌の治療に用いられている。またキレート剤を介して抗体と結合が容易な225Acはα線医薬品用の核種として特に重要で,その合成には226Raが必要である。その結果,現在世界中がRa資源を求める状況になっており,Raの科学は再び脚光を浴びている。様々な毀誉褒貶を経て継承された技術が今,日の目をみており,私が属する放射化学業界が貢献できる部分も大きい。

 

 一方,最近の文科省科学技術・学術政策研究所の調査では,日本は質の高い論文ランキングで13位に下降し,韓国やスペインに続き,イランにも抜かれた(https://doi.org/10.1038/d41586-023-03290-1)。大学で研究と教育に携わり,日々,日本の科学力の低下を強く感じる。実際,忙し過ぎて心身共に疲れ論文を書く余裕がないが,それ以上に日本人の人間力の低下やチャレンジ精神の欠如が著しい。それにいかに歯止めをかけ上昇に転じられるか,日々悪戦苦闘している。欧州旅行で,Curie夫妻やRutherford先生だけでなく,幾多の先人達の科学への熱情に駆られた努力が,今の我々の世界観・人間観を創造し,物質的発展をもたらしたことを改めて想った。ワークライフバランスも大事だが,こうした先人達の偉業を継承し,2050年に100億人に達する人類が平和で持続可能に暮らせる世界を創造することは、さらに大事だ。これを成し遂げるために,科学への情熱を持ち,人類発展の拠り所であるアカデミアを継承できる人材を育てるために,我々の世代が成すべき仕事は非常に大きい。栄枯盛衰,諸行無常。戦後発展の成果を甘受し守られてきた我々は,もはや日本は科学的には二等国になったことを自覚し,Raのように蘇る日が来ることを信じて,努力と工夫と挑戦を重ねて再度頂点を目指す時代が来たと思う。そして,それが日本や世界のよりよい将来につながるものと信ずる。久々の欧州訪問で偉大な先人達の足跡を見て,そのためのエネルギーと勇気を得た。さあまた,皆で高みを目指そう。