2023年の現在、1968年12月25日(私の生年月日の2日前)に発売されたこの名曲を、どのぐらいの方がご存じだろうか。大作曲家の筒美京平先生の最初のNo.1ヒットにして、今や女優と思われているいしだあゆみさんにとっても、24枚目のシングルにして最初のヒット、それも特大のヒット。レコード会社もよくそこまで辛抱したと思うけど、それぐらいの美貌と潜在力が買われていた人なのかもしれない。それを救ったのが、後世日本一の作曲家になるけど、当時は新進作曲家だった筒美先生、というのもすごい出会いだな、という気がする。
さてこの曲、夜を思わせる少し暗い雰囲気を漂わせながら、ブルー・ライトが揺れるヨコハマを歩く男女の揺れるような心情を謳っているようだ。そのちょっと退廃的な感じが戦後の荒廃の香りをわずかに漂わせつつ、しかし高度経済成長真っ只中の日本の前向きさもあり、貧しかった日本が世界のニッポンになっていく時代の変わり目であったことを思わせる。この後、日本は大阪万博や札幌オリンピックを経て、経済で世界を席巻していくのである。いい時代だったな、と思う。
何度も書いていることだが、多くの場合、
「人間の幸せ」=「(物質的 or 精神的な)満足度の絶対値」
ではない。
いくら満たされていても、それが時間に対して上向かないと、満たされないのだ。
「人間の幸せ」=「(物質的 or 精神的な)満足度の時間微分」
なのだ。もちろんこれは、自分自身のものの見方・感じ方にも依存する。
今の時代、モノに満ち溢れ、便利すぎるぐらい便利になって、(日本の場合)日々の活動は自分の生死に直接関わる訳ではない。それだけで十分に幸せなはずなのだが、どこか閉塞感があるのだ。それは微分係数がプラスではないからなんだと思う。それに比べて、ブルー・ライト・ヨコハマは、その後の爆発的な成長を思わせるように私には感じるのだ。
私の学生時代(1987-1991)はバブルの真っ最中で、日本はこれからどこまで成長するのか、と思ったりしていた。不動産の転売だけで金持ちになる人が沢山いて、挙句の果てに、ロックフェラーセンターなどニューヨークの有名不動産を買い占めたりしていた。一体何をしていたのだろう。そのお金を、もっと人材育成や新しい産業育成に効果的に使えなかったのだろうか。逆にゆとり教育なんかが始まって、日本の宝であったはずの優秀な人材育成が止まってしまった。競争に耐えるための苦労を経験し、日本のために自分を犠牲にできる人を、どれだけ育ってられたのだろうか。
We must change to remain the same.
現状維持を目指す限り、地盤沈下は免れない。一生懸命頑張って、ようやく現状維持ができる。それが狩猟生活をしていた我々の祖先の生活、本来の人間の生活だったはずだ。もう1回初心に戻って、毎日苦しい日々が続くけど、なんとか頑張って今も問題を解決して、本当に幸せ(=d[心の満足度]/dt > 0)を獲得したい。
高度成長真っ只中のブルー・ライト・ヨコハマを聞いて、そんなことを感じました。