昨日は自分が一緒に研究をしているD3の学生さん3人の博士論文提出審査会という重要な審査会があり、3人とも素晴らしい発表をしてくれた。とても良かった。こんな素晴らしい人達と一緒に研究ができていることに、心から感謝したい。

 

一方で、この9月と10月は殆ど休日がないほど忙しく、またプレッシャーのかかる仕事も多かったので、昨日無事に審査会を終えた時は、本当に嬉しかった。今日は久々の休日で家にいて、ブログを書く余裕もできた。

 

そのような時、ふと村山聖さんのことを思い出す。私と同世代(1年下)で、病気と闘いながら将棋に打ち込んだ天才棋士であるが、名人をめざす道半ばの29歳で亡くなった。私が博士課程の研究と1年のポスドク生活を終えて広島大学に着任した1998年のことだ。

 

今回の9-10月のような厳しい時期に、最近いつも思っていることは、「必ずこれにも終わりはあるので、絶対に粘り切る」という気持ちだ。人生には、良いこともあれば、辛いこともある。しかし、40歳を過ぎて気づいたことは、「いいことも悪いことにも必ず終わりがあり、その程度の大小はともかく、悪いことを乗り越えれば、必ずいいことがある。それが人生だ」、ということだ。

 

ただ、ここで大事なのは、良いことと悪いことは単純に連続してやってくる訳ではないことだ。元々人生とは辛く悲しいもので、「悪いこと辛いことを耐えた先に幸せがある」ということだ。「辛いけど頑張ること」は、「いつかは幸せになる」ことの前兆なのだから、簡単にいえば、「辛いこと」=「幸せなこと」なのだ。

 

村山さんは言う。

「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は死んでも、もう一度人間に生まれたい。」

 

つまり、幸せは苦しみの後にやってくるのだから、「苦しみ」=「幸せ」なんだと思う。そう思って字をよく見ると、「辛」に「一(ひと)頑張り」を足すと、「幸」になるんだな。