水木しげる(1922~2015)という漫画家、若い人は知らないかもしれないが、是非

彼の人生のことを知って欲しい。小さな頃からの死後の世界への興味、落ちこぼれ

だった学生時代、全員玉砕の中一人だけ生き残った戦争体験、その戦争で左手を

失い片腕で生きた戦後の高度成長期、周りが発展していく中で取り残される貸本

漫画家、ゲゲゲの鬼太郎で人気が出たことによる壮絶な人気漫画家としての人生

(但しそのスタートは45歳、それまでは極貧)。でも、売れることでその前半生

での経験が世の中に多彩な漫画として紹介されて、本当に良かった。そのことで、

沢山の水木しげる信奉者がいる。

 

最近、妻の影響でみているNHK「100分で名著」に、水木しげる先生が登場した。

1回きりの100分特集。雑用をこなしながら、横目でみたが、これは見ごたえが

ありました。

 

それで思ったことは、水木しげるさん、世の中の資本主義的な考え方(頑張れば

報われる、とか)には全く背を向けて、のんびりと好きなことをして生きることを

好む。よく出てくるのは「屁」とか「うんち」。でもこれも、人間の炭素を食べて、

水とCO2と共に、屁とうんちを吐き出して生きる、この生物としての当たり前の

営みを直視したからだこそと思う。

 

水木しげるさん、そんなのんびりした人生の中で、絵をかくことが大好きで、せめて

好きなことをして生きるために、漫画を書き始める。でも、やっぱり生きていく

のは大変だ。しかも片腕で。

 

好きなことをしているはずなのに、それがいき過ぎると辛くなる。それは実は売れて

からの方が、極まっていく。でも、やっぱり九死に一生を得た人は強い。戦争で

生死をさまよった体験からすれば、それを難なく超えられたのだろう。あるいは

戦死なされた戦友の遺志を伝えるために書いたのかもしれない。

 

のんびりを好むことをいつも説いているのに、その裏にかくも辛く壮絶な努力が

あるという二面性が、私には興味深いし、それを可能にした水木さんの過酷な

過去の体験が、それを可能にさせたとしか、私には思えない。

 

だから私が思うことは、生きることは苦しいから、せめて好きなことをやっていか

ないとやってられない。ほどほどに好きなことをやれば、ほどほどの人生。好きな

ことでもやり過ぎれば辛いんだけど、でもそれでも「ひとかどの人」になろうと

するなら、それなりに自制して頑張ることが必要だ。どちらがいいか、それを選べる

のが今の若者だけど、水木先生の場合には、生きていくために前者は選べなかった。

それぐらい貧しかった。

 

でも、ぎりぎり、自分が死んだ後だから関係ないと思ってる私の世代と比べて、今の

若い人達は、「持続可能な社会を作らなければ生きられない世界」を生きることに

なるので、将来に大きな困難が待ち受けている。だから多分、よく考えて、世界中が

連携して頑張っていくしかないように思える。それが、今まで地球上で好き勝手に

振舞ってきた人類が受ける試練なのかなと思う。

 

その困難を乗り切るには、水木さんならば戦争体験だったような、厳しい試練を乗り

越える強さが必要なのではないだろうか?今の世の中は、若者に対して優しすぎる

ような気がして、困難に立ち向かう強さがあるのかな、と不安に思う。世の中生きて

いく上で、実は理不尽なことだらけだ。それはいけないことなんだけど、今後人類に

必要とされる「試練を乗り越える強さ」を持つには、そんな理不尽なことにも耐えて

いく体験が必要なのではないか。改めて水木さんの人生からそのようなことを感じる。

 

このような意見に対して、水木先生はどのような教えを下さるだろうか?